The Word Is Our Assurance

“神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。”(コリント人への手紙第二1章20節)

 私たちが神に祈る時、神の答えを受けるだろうと信じる理由は、神が成し遂げて下さると考えたり、推測するのではなく、御言葉がそのように言われたからです。「・・・求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハネ16:24)」第1ペテロ3:12は述べます。「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」これらを知っていると、あなたは神が常に答えられることを悟り、祈りに対する確信と大胆さを持つようになります。神の御言葉は私たちにその様な確信を与えてくれます。

 例えば、私があなたに、翌日の朝10時に車をプレゼントしようと、会える約束をしたとしたら、あなたはその車を見ていなくても、信頼を持って来るでしょう。あなたは甚だしく幸せいっぱいで、他の人たちに「私は車を手に入れました。」と言うかも知れません。人々は「車はどこにあるのですか。」と聞くと、あなたは確信に満ち、「私がその日の朝に見せます。」と答えるでしょう。それは約束があったからであり、あなたに車を約束している人が、それを守るための財力と真実さについて、あなたは確信を持っているからです。もし、そのような約束がないとすれば、あなたは車を要求するのに、確信を持つ代わりに、車をおねだりするかも知れません。

 それが、神が彼らに下さったもの、すなわち御言葉の中で言及した彼らの権利と特権、キリストの中にある彼らの相続財産を知らない人たちがする仕方なのです。彼らは話とおりに、すべてを物乞いします。というのは、彼らが、神が約束してくださったのか、どうかについて無知であり、さらには、彼らの切なる祈りを神が既に成し遂げられたという事実も分からないからです。したがって、彼らの祈りは、信仰に基づいていたではありません。

 神の御言葉は、信仰のための真実な基礎です。あなたが、「私は病むことを拒みます」、「私は貧しい状態を拒みます」、「私は失敗を拒みます」、「全ては私のものです」と大胆に宣言する理由は、御言葉がそう言っているからです。神はあなたに健康、繁栄、勝利と良い人生を与えられました!ですから、あなたのものなのに、物乞いしないで下さい。あなたの霊で、信仰によって取ってください。

祈り
愛する御父よ、私の人生を立て上げる為に与えられた御言葉に感謝します。私が御言葉を熟考し祈りによって御言葉は働き、私の信仰は生きていて結果を生み出します。私の宣言で、状況は私の為の父の完璧な御心によって整えられます。私の霊の内にある神への信仰により、今日私の世界を支配します。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
使徒の働き20:32  いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

コロサイ 3:16  キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

ヘブル人への手紙11:1  信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。