The Word Is Your Reflection

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)

神のことばは、私たちがそれに応じて生きて行うためのものです。あるクリスチャンは、御言葉に「服従」しようと努めています。しかしそれが問題です。 御言葉は、私たちが服従するためのものではありません。 旧約聖書では、神はイスラエルの民に従わせるための戒め、すなわち律法を与えましたが、彼らは守れませんでした。そこで、神は、その命令を変えました。神は言われました。「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。-主の御告げ。-わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心に書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)

結果的に、新約聖書では、あなたは御言葉に服従するように召されていません。なぜなら、あなたは御言葉から生まれたからです。 あなたは、御言葉と一つにされました。神のことばは、あなたが誰であるかを示す、あなたを映す鏡です。 だから、あなたは御言葉を理解することができ、それにしたがって行動します。私たちは御言葉に従うために、聞き、勉強し、理解し、黙想します。

Ⅱコリント3:18は、「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊になる主の働きによるのです。」 あなたが御言葉を見るとき、自分自身を見るのです。御言葉はあなたを写します。たとえば、御言葉が「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(Ⅱコリント5:21)と言う時、 これは、あなたに「服従」するように言っているのではなく、単に、あなたが誰なのか、イエス・キリストなる神による義を示しています。したがって、あなたの感覚がそのように感じるかどうかが問題ではありません。神はもう既に、あなたがキリストにあって誰なのか示されました。そのため、それに従って振舞うべきなのです。

あなたにある神の形を受け入れ認め、その光のうちを歩むというのが、御言葉を行うということなのです。あなたが神の鏡、つまり御言葉を見るとき、あなたは神の栄光を見ており、それがまさに、あなた自身です! 御言葉を見れば見るほど、あなたは御言葉にあるあなた自身を見ることになるのです。あなたの人生に栄光から栄光へと辿るでしょう。ハレルヤ!

祈り
愛する天の父よ。私の人生に父の御言葉の影響力を与えてくださってありがとうございます。父の御言葉は、私の霊に預けてくださったあなたの偉大な栄光の現わす鏡です。私がその鏡である御言葉を見るとき、私は、あなたの聖霊によって私が見た同じ姿に栄光から栄光へと、変わっていきます。イエスの御名で祈ります。アーメン。

参照聖書
ヤコブ1:22-25  また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。