2023年8月1日(火)
御言葉による輝き
Luminosity By The Word

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」(詩編119:130)

神の言葉が差し込むと何をもたらすかを観察してみましょう。冒頭の節で「光」と訳されているヘブル語は「オル(’ôr)」であり、それは「光を放つ、ほのかに光る、輝く、栄光に輝く、燃える、火をつける」などの意を持っています。また、暗い夜から抜け出し、新しい日を迎えることを暗示しています。

したがって、この節が言っているのは、神の言葉があなたの心に入ると、あなたを光り輝かせると言っています。御言葉はあなたの人生を夜明けのように明るく、栄光に富んだものにします。御言葉はあなたを燃え上がるのです。ハレルヤ!

御言葉が入ると、あなたに光を照らすのではなく、あなたを光り輝かせるということに気づいてください。この2つの言葉は関連した文脈で頻繁に使われますが、明らかに異なる意味を持っています。何かを照らすというのは、物体に光を当てて、より明るく、より見やすくすることです。それは、光を発すること、つまり明るい光を放つ存在になるのとは異なります。

あるものが光り輝くと表現されるとき、それは光を生み出し、あるいは反射する性質を持っていることを意味します。主の御言葉が入ることによって、あなたは光り輝き、燃えるような光となるのです!あなたのうち側からそのような明るさ、光の放射、御霊の輝きを放つのです。

ヨハネによる福音書5章35節で、主がバプテスマのヨハネを輝くともしびであり、光と表現されたことを思い起こさせます。「彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。」御言葉があなたの中に入り込み、御言葉を糧としなさい。そうすれば、御言葉はあなたを通して輝きます。

祈り
愛する父よ、主の御言葉は私の心を照らす真の光です。御言葉を熱心に学び、絶えず黙想することによって、私の心は光であふれ、いつも強く輝き、主の善を放ち、主の優しさと恵み深さを私の世界に示すことができます。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(詩編119:105)あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

(ヨハネ8:12)イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

(ヨハネ12:46AMPC)わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者[信頼し、より頼む者]が、だれもやみの中にとどまることのないためです。