Fellowshipping The Word
「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」(2コリント3:5-6)
神の言葉は霊であり命です。文字以上のものです。「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」(2コリント3:6)。 イエスは言われました、「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)。 御言葉は、私たちを立てられ、持ち上げ、栄光から栄光へと変革させます。それで、私たちは神の言葉に対して黙想することを強調します。
神は、あなたが御言葉を黙想することを望んでいます。なぜなら、黙想するうちに、御言葉があなたの霊に入りこみ、あなたの人格となるからです。つまり霊に入り込んだ御言葉は、特定の時に、特定の目的のためにあなたへの神の特別な言葉である「レーマ(rhema)になるでしょう。神の言葉を勉強し聞くときに、勉強したことや教えられたことに基づいて御言葉を話すようにあなたの霊の働きかけがあるたびに、それを抑圧しないでください。声出して話してください。それが霊的な戦いが起こるときに、あなたが必要とする「レーマ」という御言葉です。
御言葉を勉強するたびに、神はあなたに話しかけており、神はいつもあなたの反応を願っておられます。それが御言葉との交わる方法です。御言葉との交わりは、勉強し教えられているとおりに、あなたの御言葉に対する反応と関係があります。一部のクリスチャンは、御言葉に応答しなければならない事実を理解していません。その人たちは新聞や読書をするかのように、神の御言葉を研究します。いいえ、そうではなく、あなたは御言葉と交わらなければなりません。御言葉に栄光があります!
あなたが神の御言葉と交わるまで、その御言葉はあなたにとって「見知らぬ人」です。御言葉は誰でしょうか?聖書は言います、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」(ヨハネ1:1-3)。言葉は人格です。上記の節で代名詞「この方(Him)」とあることに注目してください。この方の名前はイエスです!イエスは言葉が肉となった存在であり、人間の肉体の中に住まわれる御言葉であります。
祈り
愛する御父よ、私が委ねて生きる御父の言葉をくださって感謝します。御父の言葉は私を導き、私の道を照らしてくれる光です。私は決して暗闇の中を歩くことはありません。御言葉を研究して御言葉に応答するとき、御言葉は私の人生で結果を生み出します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
使徒20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
ヘブル13:5-6 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
2テモテ3:16-17 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。