11月13日(日)
従順による教訓
A Lesson In Obedience

「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ2:8)

ルカ3章38節で、アダムの系図を調べると、アダムは神の子と呼ばれていました。では、最初のアダムが神の子で、二番目のアダムであるイエス・キリストが神の子だとしたら、二人の神の子の違いは何なのでしょうか。

その答えは、イエスがマタイ21章28-31節で話された、二人の息子のたとえ話にあります。父親は二人の息子にぶどう園で働くように言いました。一番目の息子は、父親に行くと約束しましたが、行きませんでした。二番目の息子は、父親に「行かない」と言いましたが、ついに行きました。そこでイエスは「二人の息子のうち、どちらが父に従ったのか」と問われました。

明らかに、従順な者とは、最初は拒みながらも、実際に父の御心を行った者のことです。ゲッセマネの園で、イエスが逮捕されて十字架につけられる前の最後の瞬間、イエスは父に切に祈りました。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)。

イエスはそれを望まれませんでしたが、とにかくなされたのです! ですから、今日の御言葉ではイエスについてこう語っています。「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」神がイエスを高くあげられたのは、イエスが死に至るまで従順であられたからです。しかし、最初のアダムの失敗は、彼の不従順にありました。

聖書には「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです」(ローマ5:19)と書かれています。最初のアダムが従っていれば、第二のアダムは必要なかったのです。ですから、最初のアダムと第二のアダムの違いは、従順さだったのです。

従順は非常に重要です。神に耳を傾け、神の方法に従うことは重要なことです。新しく生まれた私たちは、第二のアダムであるイエス・キリストの性質を持って生まれ、主の従順な霊を持っています。第一ペテロ1章14節では、私たちを「キリストの従順な子ども」と呼ばれています。ですから、あなたのうちにおられるキリストの性質に従って歩み、いつも父を喜ばせるのです。

祈り
愛する父なる神よ、主の知恵が蓄えた霊的な指示を受ける特権を与えられたことを感謝します。主の霊は、私を常に導き、主の方法で物事を行うように、私の心を霊的な教えを与え、私の耳に確実に進歩するための最も確かな知識の言葉に保証されたことを聞かせてくださいます。主の御言葉に従順するとき、私は成功と勝利と卓越と栄光の中を歩むのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(サムエル上15:22)するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

(第一ペテロ1:14)従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、

(箴言8:10)銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。えり抜きの黄金よりも知識を。