“Stir Up Yourself, To Take A Hold Of God…”
“しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。あなたは私たちから御顔を隠し、私たちの咎のゆえに、私たちを弱められました。” (イザヤ 64:7)
預言者イザヤは、今日の本文箇所で神様に語りかけていたのです。イスラエルは誰も主を求めなかったゆえに、言いかえれば奮い立って(stir himself up)神様に“すがる”者がいなかったゆえに、非常に困難さにおかれていました。その意味はキリスト者である私たちが、勢力を得る祈りを通して自らを奮起させ (stir up)神様と神様のみことばにすがり、私たちの人生に実在とならせることができるということです。
これはヤコブが神様の臨在をもたらす天使と出会った出来事を思い起こさせます。おじラバンのそばで長い間とどまった後、ヤコブはエサウの怒りを逃れるためには奇跡が必要だということが分かりました。彼が父イサクを騙して兄から代わりに長子の相続を得たからです。ヤコブは家族とすべての所有を二つの群れに分けエサウが一方を打ってももう一方は逃げて生き残ることができるようにした後、エサウに懇請するため彼らすべてを自分よりも先に送りました。(創世記32:4-8)
その結果、ヤコブは一人残りました。聖書はヤコブがある人と夜明けまで格闘したと言います。ヤコブはその天使から祝福を受けるまでは去らせませんでした。(創世記32:24-26) 預言者ホセアは、ヤコブとともに格闘した天使が実際に主であったと説明します。“…彼はその力で神と争った。彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。主は万軍の神。その名は主。”(ホセア12:3-5)
ヤコブは祈りを通して、自らを奮起して神様、もっと正確には神様の祝福にすがりました。これがまさにキリスト者である私たちが学ばなくてはならないことで、祈りを通して自らを奮起させ私たちと他の人々に向かう神様のみことばにすがることです。私たちは失ったたましいと、信仰からはずれた人々のためにとりなしを
するとき、ねばり強くとどまっているべきです。私たちはキリストが彼らの中で形づくられるまで彼らのために祈りし勢力を得なくてはなりません。
祈り
愛する天の父よ、自ら奮起させ私の人生で父のみことばにすがることができるように、心から出る交わりの場である祈りの特権をくださり感謝します。私に勢力を得る祈りを通して変化を起こすことができる力をくださり感謝します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
エペソ 5:18-21, エペソ 3:20-21, Ⅱテモテ 1:6
1年聖書通読
Ⅰコリント 3章
詩篇 109-112
2年聖書通読
ピリピ 4:8-13
エレミヤ 3章