7月16日(土)
内側からの証し
The Inward Witness
「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」 (ローマ8:16)
私たちの福音を伝える情熱は、世の人々にとって耐え難いものであり、彼らを煩わせます。「どうしてそんなにイエスに熱中できるのだろう」と彼らは不思議に思っています。しかし、世界は人々が通常自分の宗教に対して情熱的であるという前提のもとにして、私たちの情熱を揺さぶろうとしています。 世界は私たちの情熱が異なることを知りません。 私たちの情熱は熱心さ以上のものです。
クリスチャンと世界の宗教を信じている人々を比較するとき(キリスト教は宗教ではありません)、注目すべき点が三つあります。一つは私たちの情熱で、これは実際に宗教人である彼らと比較することができます。次に、確信なのです。世界のあらゆる宗教も私たちと同じくらい確信を持っているかもしれません。しかし、私たちには彼らが持っていないもの、決して持つことのできないものがあります。それは、内側からの証しです。ハレルヤ!
私たちの霊には、イエスについての「証し」があるのです! これが、今日の御言葉で読んだ内容です。「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」。ですから、私たちがイエス・キリストのために立っているとき、ただ情熱的だから立っているのではありません。私たちは、ただ主のメッセージに確信があるから福音を伝えているのでもありません。むしろ、私たちの霊の中に、本当にイエスが道であり、真理であり、命であり、この方以外には誰も父のもとに来ることはできない(ヨハネ14:6)という「証し」があるからです。
私たちは今、私たちが神の子であるという「証し」を霊の中に持っています。心の奥底では、私たちは神との交わり、聖霊が住まわれ、私たちが新しく生まれたことを知っているのです! これらは思い込みではなく、私たちの霊の中にある重要な、今現在の実在なのです。私たちは、聖霊によって生み出された知識、つまり、私たちが神から生まれ、永遠に勝利する者であるという「内部情報」を持っているのです。
私たちは異なるのです。私たちが持っているものは、宗教を超えたものです。 そして、キリスト教は宗教ではありません。人々が自分の宗教にどんなに情熱的かつ確信を持っていたとしても、どんな宗教にも救いはないのです。イエス・キリストの福音だけが、この世を救うメッセージなのです。主なる神に感謝します!私たちは、神が救い、癒し、守り、救い出し、保護し、繁栄させる力のあるメッセージの管理者です。私たちは神の証人なのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父なる神よ、私をキリストの福音の管理者にしてくださったことを感謝します。まだ救いを受けていない多くの人が今日福音を聞き、受け取り、暗やみの領域から神の子らの栄光の自由へと即時に移されることを、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第一ヨハネ5:10)神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
(第一コリント9:16)というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。