12月1日(木)
内なる至聖所
The Inner Sanctuary
「人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。」(箴言20:27)
旧約聖書の中で、神はイスラエルに幕屋をお与えになり、それを三つの部分に分けられました。第一の部分は神の箱が置かれていた内側の聖所で、「最も聖別した場所」とされ、「至聖所」とも呼ばれました。第二の部分は、外側にある「聖所」と呼ばれました。幕屋の第三の部分は外庭で、そこには青銅の祭壇と洗盤がありました。
このモーセの幕屋は、霊、魂、体という人間の姿を示しています。人間の体は外庭で、魂は聖所、霊が至聖所なのです。
聖霊は、新しく造られた人間の霊、つまり内なる至聖所に住まわれます。人が新しく生まれると、その霊は再創造され、人の霊に永遠の命が与えられ、すぐに神の契約の箱がそこに設置されます。では旧約聖書における箱の中には何が入っていたのでしょうか。そこには、二枚の石板に書かれた神の言葉でした(列王記上8:9、歴代誌下5:10)。
今日、神の御言葉はどこにあるのでしょうか。神の御言葉は私たちの心、霊の中にあります。主は「それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける」(ヘブル8:10と10:16)と言われました。パウロが、私たちを石の板ではなく、人の心の板に御霊によって書かれたキリストの手紙であると言ったのも不思議ではありません(第二コリント3:3)。
これは、人間の霊の重要性を示しています。そこは今日、神の御言葉があり、そこに神が住まわれるのです。新しく生まれることは、内なる人、すなわち人間の霊を、神の住まいである神の聖なる幕屋とするために造り直すことです。ですから、あなたの霊の教育に重点を置かなければならないのです。これは、神の御言葉を受け取り、黙想することによってのみ達成可能なのです。
告白
私の霊は神の住まいであり、神がその栄光と威厳の中で生きておられる場所です。私は神の神聖な臨在を心に持ち歩き、私の神性の祝福で私の世界に影響を与えます。私はこの世界に対する御国の大使です。私が行くところには、神も共に行かれます。私は主の生きた幕屋であり、主の住まいであり、主の指令所であるからです。ハレルヤ!
参照聖書
(第一ペテロ3:4)むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。
(ヨブ32:8)しかし、人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。
(第二コリント4:7)私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。