Importance Of Corporate Worship
「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」(詩編133:1-3)
教会に集うことで得られる多くの有益の一つには、共同の礼拝の機会があげられます。一人で神を礼拝することもすばらしいですが、クリスチャンとしての私たちは各自の集会で一緒に集まって主を礼拝しなければなりません。なぜなら、神は、神の子どもたちを家族として育ってほしいと願われるからです。中には、親と子供とのコミュニケーションが取れない家族がいますが、それは理想的な家族の姿ではありません。
神は私たちに個別的な礼拝、祈り、奉仕をさせますが、私たちが教会の一員として必ず一緒に集まってささげる賛美と祈りと礼拝もあります。私たちひとり一人が、自ら御言葉を勉強するように、教会の一員として神の言葉を聞くために一緒に集める責任もあります。これらはクリスチャンの義務であり、神の子ども一人ひとりが、キリストのからだ全体が成長し、育成し強くなるように神によって設けられたことです。
こういうものを見逃さないでください。大切なのは、ただ教会のプログラムに過ぎないのではなく、神の御言葉を通して私たちに与えられた責任です。あなたがどう感じるかとは関係ありません。月曜日の朝にもあなたが仕事をする気がなくても、仕事があなたにとって重要なので、仕事に行くのです。
仲間の信徒と共同の礼拝の有益を享受してください。ダビデは言いました。「人々が私に、「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、私は喜んだ。」ハレルヤ!
祈り
愛する御父よ、御言葉を通して教えてくださり感謝します。今から私は教会に行って、他の信徒との交わりをこれまで以上に、大切にします。それで、御父の言葉とおりに、御父の祝福が明らかに私の人生に現れ、御父の栄光が、私がしているすべてのことに現れます。イエスの御名でお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ルカ4:16) こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
(ヘブル10:25) ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
(ヨハネ4:24) 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」