2025年5月19日(月)
信仰と希望の関係
The Relationship Between Faith And Hope
「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11:1)
信仰は本質であり、望むものの権利証書です。望みは通常、未来にあるものです。それは、あなたが楽しみにしているもの、まだ実現されていないあなたが望むもの、未来の絵、またはあなたが望ましい結果、達成、所有、あるいは満足のイメージです。つまり、希望は信仰に先立つものとして重要なのです。
一方、信仰はその望みの本質です。望みは、信仰が活動するための基盤です。望みがなければ、信仰は実体を持たず、命もありません。聖書は、「信仰、希望、愛、この三つがいつまでも続きます」と教えています。愛が最も偉大であることを強調する一方で、この3つが不可欠であることも示しています。信仰、望み、愛は、神から与えられた私たちの性質の一部として、私たちが持っているものです。
望みは、私たちを支え、未来につなげてくれる重要なものです。望みは、信仰が実体を与える絵であり、イメージです。望みが見えるとき、信仰はそれを現実のものとします。信仰と望みの関係は、量子物理学における波動と粒子の二元性の概念を通して見事に説明されます。量子力学の実験によって、素粒子は観測されていないときは波(波動)として存在することが明らかになりました。しかし、観測されると、波(波動)は粒子に崩壊し、物質が形成されます。
この現象は、信仰と希望の作用と類似しています。希望は潜在的なエネルギーであり、波であり、可能性です。あなたがそれに集中するとき、信仰を通してそれを見るとき、それは物質に崩壊して、変わるのです。それは現実になるのです。聖書はすでにこの現実を説明しています。それは、希望が信仰に先行しなければならないことを示しているからです。
希望がイメージを提供し、信仰がその可能性を具体的な現実に変えるのです。希望がなければ、信仰は何も行動できません。希望があれば、実現する可能性を持ち、信仰がそれを活性化し、それまで無形であったものを実体に変えるのです。
祈り
愛する父よ、信仰、希望、愛という3つの創造的要素に感謝します。私は主の御言葉のビジョンに心を定め、私の心にある希望をより偉大な、より明るい未来へと向けます。私の信仰は生き生きと活動し、あらゆる可能性を現実のものとします。私の希望は揺るぎないものであり、私の信仰は活動的で、私の人生において結果を生み出し、あらゆる約束を具体化します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ローマ8:24-25)私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
(マルコ9:23)するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
(2 コリント 4:17-18)今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。