Believe And Affirm

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

人は体ではなく霊的存在です。人の肉体は本当の人である霊の所在地であります。あなたの体はあなたではありません。あなたの霊が本当のあなたであり、すべての人の霊は信じる力を持っています。信じるために目で見る必要はありません。

こういう事実は、「見ることが信じること」という一般的な前提が間違っているということを示します。それは、見ることができるものを「信じる」必要はないので、矛盾しています。あなたが赤いトヨタ車の横に立てば、目が悪くなければ、「私のそばに赤いトヨタ車があると信じています」とは言わないでしょう。あなたはすでにそれを見ているので、車がそこにあることを知っています。あなたは見ることができるものを信じるのではありません。むしろ見たことがないものを信じます。

「信じる(believe)」という言葉は信仰(faith)の動詞であり、信仰は名詞です。信仰の行為は信じること(believing)です。したがって、あなたが目で見ているものを信じているとは言えません。信じることは、信仰を行うことです。すなわち信仰を働かせることです。例えば、コリント第一3章21節ではこう書いています。「ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。」 あなたはこの箇所の御言葉通り、すべてのものがあなたのものであることをまず信じなければなりません。その後、あなたの所有とされたすべてのものを文字通りに信じて、まだ物質的には見えなくても、信じた通りに行動する必要があります。あなたは信じて、その信じたことを話さなければなりません。

コロサイ1:14は語っています。「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」 あなたの霊からこの御言葉を信じるなら、あなたはこう宣言するでしょう。「キリストに私の贖いがあります。主は私を苦難から救い出されました。私のあらゆる痛みの苦しみは取り除いています。私は罪と闇、そしてキリストの命と一貫しないすべてのことから解放されました。ハレルヤ!」

信じたら、次に肯定的に断言してください。信じることはあなたの霊にありますが、それを宣言することによって確定になります。「「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」(コリント第二4:13)

祈り
愛する御父よ、私の霊の中に御父の言葉があることに感謝します。私は、私が神の相続人であり、キリストとの共同相続人で、世界が私のものであることを信じて語ります。主が私の羊飼いなので、その豊かさによって私に不足や必要性の意識はありません。主を賛美します!

参照聖書
マルコ11:23、まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

ローマ10:8-10 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。