2024年9月18日(水)
他人のための執り成し
Intercession Is For Others

「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(へブル7:25)

執り成しとは、二者またはその以上の対象の間に立つことをいいます。他者が自分の境遇や助けを必要としていることに気づいていなくても、その人に代わって嘆願し弁論することです。例えば、生まれ変わっていない人のために執り成しをする場合、彼らは自分の霊的状態や救いの必要性を意識していないかもしれません。

そのような場合、あなたはその人に代わって神に申し立てを挙げているのです。あなたは、霊的立場について彼らの無知と無理解を持って、主の前に訴えているのです。神がヨナに対してニネベ人をどのように描写したかを考えてみてください。彼らは何が正しくて何が間違っているのかわからなかったのです。しかし神は、御言葉を宣べ伝えて彼らの悪から悔い改めさせるために、ヨナを彼らのもとに遣わされたのです。

驚くべきことに、王から庶民に至るまで、ニネベ人はヨナのメッセージを心に留め、心から悔い改め、断食し、しるしとしてあら布を身にまといました。彼らの集団的な悔い改めは、神の心を動かしました。ヨナ4章11節(NIV)では、ニネベを助けた後、神はヨナにご自身の憐れみをこう説明されました。「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえもしない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

同様に、罪人のために祈るとき、私たちは、彼らが置かれている状況や救いの必要性を理解していないことを神に訴えているのです。私たちは、彼らが罪のゆえに神の裁きを受けるに値することを認めながらも、彼らのためにイエスが犠牲になられたことを基づいて弁護するのです。救いはすでにイエスによって可能になったので、私たちが救いを得るために、神を説得しているのではありません。むしろ、彼らがこの救いを受け入れることができるような状況を整えてくださるよう、主にお願いするのです。

このような執り成しは、失われた人々だけでなく、すでにクリスチャンであっても、まだ信仰について無知であったり、葛藤したりする人々にも及ぶものです。執り成しは無私無欲で他の人のために祈ることなのです。その人が必要性に気づいているかどうかにかかわらず、祈りによって神の御前でその人のために弁護するのです。

祈り
愛する父よ、私の世界でまだ救いを受けていない人々のために祈ります。彼らの目と心が開かれ、イエス・キリストの福音を受け入れるように祈ります。主の輝かしい福音の光が彼らの心を照らし、環境、状況、物質、人々を整え、暗を追い出し、彼らを神の御子の輝く自由へ移されるように祈ります。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(1テモテ2:1-4)そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

(ローマ8:26-27)26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

(コロサイ4:3)同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。