2024年1月6日(土)
仕えるために召し出された
Called Out To Service

「それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」(1テモテ3:15)

新約聖書における教会とは、エクレシア(Ecclesia)で「召し出された者たち」という意味です。私たちが神に召し出された者であると言うとき、それはこの世から神のもとに召し出されたことを意味するのではありません。実際に起こるのは、私たちが家から出て、仕えるために召し出されるということなのです。

このことは、ヘブル13章13節に書かれています。「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」この「宿営の外」という表現に注目してください。私たちは、宿営の外で主に仕えるために召し出された者なのです。

それは、イエス・キリストが町の門の外で十字架につけられたという聖書の言葉を反映しています。そこで主は私たちもまた、主の責めを負いながら、宿営の外に出て、主のもとへ行こう、と言われるのです。それは、私たちの奉仕の活動、全世界に対する福音宣教の活動に関することです。続く14節では、それをさらに明確にしています。「…この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。」言い換えれば、働きに取り掛かり、神の働きを行いなさい、ということです。

私たちが教会として集まるとき、それは目的のためです。私たちは、主が私たちに命じられたことを実行するために、主を賛美しに集まるのです。主は言われました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。本当の働きは宿営の外にあるのです。私たちは、主の救いの力の知らせを地の果てまで広めるために遣わされたのです。

祈り
私は主に仕える目的と使命のために召されています。ですから、私は、主が私に召された奉仕の働きに勤勉と忠実に取り組み、福音を伝えられていない人々に手を差し伸べ、世界に福音のメッセージを浸透させることを献身します。私は、その働きを目的と情熱をもって果たします。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(1コリント15:58)ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。

(マタイ28:19-20)それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。