2022年5月14日(土)
主を知ることは、主を愛すること
To Know Him Is To Love Him
「 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、」 (ピリピ 3:10)
今日の御言葉で、使徒パウロの言葉に注目してください。「私は、キリストを知り…」これは彼の夢でした。なぜなら、イエスを知るということは、イエスを愛するということだからです。イエスを愛していない人は、イエスを知らないのです。もしイエスが誰であるかを知ることができたら、彼らは間違いなくイエスを愛するようになるでしょう。あなたがイエスを知れば知るほど、あなたはもっとイエスを愛するようになるのです。ハレルヤ。
回心前のパウロの話が思い出されます。彼はパリサイ人であり、初代教会でキリスト教徒への迫害の先頭に立った批評的な宗派の一員でした。聖書には「彼は教会を荒らしまわり、すべての家に入り、男女を捕らえて牢屋に入れた」(使徒8:3)と書かれています。
彼はそれだけで終わりませんでした。ルカは、パウロが主に従う者たちに対して、激しい殺人の脅迫をし続けたことを伝えています(使徒9:1)。しかし、彼の人生を永遠に変えるような出来事が起こりました。ダマスコへの道で、主との運命的な出会いがあったのです。聖書にはこう書いてあります。「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです』」(使徒9:3-6)。ハレルヤ!
パウロは、主に対する新しい知識を持つことにより、もはや引き下がることができなくなりました。彼は行く先々で、イエスは生きておられ、実在であることを証ししたのです。主を知ったパウロは、イエスへの愛を抑えられなくなったのです。
エペソ3章19節でパウロが「 キリストの愛を知ることができますように…神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように」と述べているのも不思議ではありません。これは、あなたに対する神の御心です。神の御心は、あなたが人知を超えたキリストの啓示を受け、キリストの愛に溢れ、キリストの命、性質、品性、力を現すようになることです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、あなたの計り知れない、無条件の、純粋な、永遠の愛が私の霊に啓示されたことを感謝します。私は主の愛に根ざし、今日も主の愛を私の世界に現し放ちます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(エペソ3:17-19)こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
(ピリピ3:7-10)しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、