2022年5月1日(日)
主の善さを毎日祝う
Celebrate His Goodness Every Day
「というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである。」(マルコ6:52)
マルコ6章には、イエスの弟子たちが水の上を歩くイエスを見たとき、恐怖にとらわれたと記されています。なぜ、彼らは恐れたのでしょうか。その答えは、52節にあります。「…彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである。」
弟子たちはイエスと一緒にいくつかの奇跡を見ましたが、その時の最後の奇跡は、パンと魚を増やして何千人もの人々を養ったことです(マタイ14:13―21を参照)。しかし、それは彼らにとっては何の意味もないように思えたのです。 彼らの心はまだ頑固でした。今日の教会にもそのような人がいます。彼らは今日、聖霊によって行われているキリストの奇跡を認めません。
これは1981年に私が経験した感動的な体験を思い出させます。私はベンソン・イダホサ大司教がR.W.シャンバックを説教者として招待した特別な夜の集会に出席していました。彼が説教し、祈った後、いくつかの奇跡が起こりました。最初に講壇に上がった証人は、両耳が聞こえない若い女性でした。先生たちは彼女が聞こえるかどうか試してみて、本当に癒されたことを確認しました。
しかし、私はそのことを見ながらもう一つ、大きな感動を受けたのです。 それは、若い女性の証言に対して、その二人の偉大な神の人の反応でした。R.W.シャンバックとベンソン・イダホサ大司教は子供のようにジャンプして、その奇跡を喜び祝ったのです。彼らは非常に多くの偉大な奇跡を見た神の人々であるにもかかわらず、彼らが目撃した最初、または唯一の奇跡のように祝う姿はとても感動的でした。
本来も私たちはこのように祝うべきです。神があなたの人生や人々の人生で行ってくださる一見単純なことに、いつもワクワクし、期待しましょう。毎日、神のすばらしさを喜んで祝うのです。「小さな奇跡」とはありません。神からのすべての祝福は、叫ぶべきものであり、神を賛美する価値のあるものなのです。あなたの心はいつも神の大きな愛、憐れみ、恵みに対する礼拝と賛美と感謝の気持ちで神に向かって進めなければならないのです。聖書は、神は毎日私たちに祝福と恵みを与えてくださると言っています。「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ」(詩篇68:19)。ハレルヤ!
祈り
祝福された父よ、私の人生における主の祝福を毎日感謝します。私の中にある主の命、私の中で力強く働いている主の御言葉、キリストにある私の繁栄、健康、平和、喜び、勝利、そして栄光の人生を毎日祝います。すべての栄光と統治と賛美は、今も昔も主のものです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(出エジプト18:9)イテロは、主がイスラエルのためにしてくださったすべての良いこと、エジプトの手から救い出してくださったことを喜んだ。
(詩編31:19)あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに身を避ける者のために人の子の前で、それを備えられました。
(マタイ15:30-31)すると、大ぜいの人の群れが、足なえ、不具者、盲人、おしの人、そのほかたくさんの人をみもとに連れて来た。そして、彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをおいやしになった。それで、群衆は、おしがものを言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て、驚いた。そして、彼らはイスラエルの神をあがめた。