The Communion Of His Body And Blood
“私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」”(コリント人への手紙第一11章23ー24節)
「新しく生まれ変わっていない者は、聖餐式に預かることができますか。」と尋ねる人々かいます。いいえ、そんな事はできません。聖餐式とは、キリストの体と血に預かる事のため、キリストに自分自身の心を明け渡していない者は、主の命に預かる事ができません。主と一つに成る為の唯一の方法は、生まれ変わること、すなわちキリストの中で生まれることです。この段階を踏む者は、いつでも聖餐に預かる資格を得られます。聖餐に加わることによって、あなたは自分が誰であるかを思い出され、主との一体を再確認します。
私たちは、主の命に応じてこの事を行います。私たちは、主がただ何の理由もなく、死なれた方だと覚えることはできません!そうではありません!主の身代わりの死には意味があります。主は私たちを生かす為に死なれ、その結果、今私たちは生きています。
聖餐を預かることにより、私たちは命を記念として主を覚えます。あなたが直面している困難や挑戦に関わらず、あなたが聖餐に加わる同時に、全てがうまくいっていると宣言しましょう。さらに素晴らしい方があなたの中に住まわれ、主が状況を支配されているためです。キリストはあなたに人生の支配権や利点を与えられた為、あなたの勝利の告白は、大胆で、完璧である必要があります。聖餐式に預かる時、まさにそれをはっきりと宣言しなければなりません。
キリストは、あなたを永遠に勝利するために造られました!これを意識して聖餐に参加しましょう。主は言われました。「わたしを覚えて、これを行いなさい。(Iコリント11:24)」と言いました。キリストは、私たちがよく聖餐に預かることで、主の贖いの死とその結果として、私たちに与えられた勝利と栄光に対する私たちの信仰を、続けて高めさせることを望んでおられます。
祈り
愛する御父よ、救いの喜びと私の為に砕かれたイエス様の体のゆえに、感謝します。それにより、私は人生で決して挫折し、敗北するのはできません。罪を取り除く為に流されたイエス様の血潮を感謝します。その血より、私は状況を支配する主人であり、神聖な命を運ぶ者であり、キリストと共に共同相続人となりました。ハレルヤ。
参考 聖書
イザヤ書53:3-5 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
Ⅰコリント10:16−17 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。17 パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。