2024年10月18日(金)
主のタイミングは完璧である
His Timing Is Perfect
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ3:9)
聖書は、真理をあざけり、あざ笑う者たちについて次のように語っています。「…終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、」(2ペテロ3:3 TLB)例えば、彼らはあざ笑って言います、「イエスは戻って来ると約束したのです。私たちは何世代にもわたってその話をずっと聞いてきました。イエスはいったいどこにいらっしゃるのか? その方は決して来ないでしょう!」
彼らは、神の時間感覚と私たちの時間感覚とは違うことを理解していないのです。2ペテロ章8節をたとえに取り上げてみましょう。ペテロは重要な真理に無知であってはならないと諭しています。「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」神が特定方法であなたにメッセージを伝え、それを逆に繰り返すとき、それらが誇張や一般的な記述ではないことを、神は強調しているのです。神が言われる預言的な言葉では、一日が千年のようであり、千年が一日のようであるということです。
イエスがまだ来られないのは、神が「遅らせている」のでも、イエスの再臨を忘れているのでもありません。むしろ、神は忍耐しておられるのです。神は誰も滅びることを望まず、すべての人が悔い改めることを望んでおられるのです。なんと憐れみ深いことでしょうか! 2ペテロ3章15節では、このことをさらに強調しています。私たちの主の忍耐は、人々の救いのためであることを、私たちに説明し、認識させるためです。
主の再臨の遅れは、救いを求める神の願いに直結しています。主が待っておられる一瞬一瞬が、誰かが主に立ち返り、救われるもう一つの機会なのです。この理解は、神のタイミングは完璧であり、神の忍耐は神の愛の延長であることを知って、緊急性をもって福音を伝えようとするあなたの心をかき立てるはずなのです。
祈り
愛する父よ、世界中の人々が救われ、福音にある真理を知る機会を与えてくださっているあなたの忍耐に感謝します。かつてないほど福音のメッセージが自由な道を歩み、救いが地上の隅々にまで、妨げられことなく広がっていきますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(2ペテロ3:8-9)しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
(ベブル10:37)もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
(マタイ24:14)この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。