Know Who You Are And Live Accordingly

「ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:27)

クリスチャンとして、私たちは旧約聖書の人々とは異なります。旧約聖書によると、人々は御言葉に従うように召されました。しかし、新約聖書によると、私たちは御言葉の実践者であり、御言葉の表現された者と示しています。それを鏡の原理と呼ばれています。すなわち、神の計画は、御言葉の鏡を通して、あなたが誰であるかを見せて、あなたがそれにふさわしく生きていくことです。

したがって、「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。」(エペソ4:25)のような御言葉を触れるとき、主が偽りを捨てなさいと言った通りに行なってください。鏡は偽りを捨てた者としてあなたを見せているので、そのとおりにしてください。それは戒めではありません。旧約聖書では、偽りをつかないことが戒めでしたが、新約聖書では、御言葉を実行し、真実に従って歩んでいきます。聖書に、「律法は義人のために作られたものではない」(1テモテ1:9)とあります。私たちは神の義人です(ローマ1:17)。

旧約聖書では、人々に律法を与えましたが、新約聖書では、私たちが正しく生きることができるように、神の性質、義の命を私たちに与えています。それはあなたが義の性質と一致しない何かをしているなら、あなたは内側から悩む理由を説明しています。あなたの霊によって、正しかどうかを判断することができます。あなたの内に神の光があるからです。

これがまさに、神の民がキリストにあって自分が誰であるかを意識し、それに応じて生きるように、私たちが義について教えている理由なのです。

告白
私はキリスト・イエスにおける神の義であり、神の御前で責められず、罪悪感なしに立つことができます。私は私の霊にある義の性質を意識しています。それゆえ、私は毎日、父の愛の中で完全に歩き、働き、そして義を生み出します。アーメン。

参照聖書
(コロサイ1:20-22) その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。

(ヤコブ1:22-25) また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。