Be Resolved To Live For Him

「イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、」(ヨハネ13:3)

使徒21章では、ツロの聖徒たちはパウロが直面する苦難について忠告し、エルサレムに行かないように懇願しました。彼らは、パウロは拷問を受け、投獄され、殺されるだろうと言いました。しかし、パウロの応答は最も刺激的なものでした!彼はこう言ったのです。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」(使徒21:13)

なんという決意でしょう!彼は決して恐れずに、イエスのように死を覚悟してでもエルサレムに行くことを決意したのです!「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ」(ルカ9:51)。「まっすぐ向ける」という言葉は 「ステリゾ(stērizō )」というギリシャ語で、「断固として一定の方向を向く」という意味です。

イエスの表情はあまりにも断固として見え、誰でも、主を見ている者は、主が何かを意図しておられるのか、決断をされていたことがわかりました。イエスはエルサレムで何が待ち受けているかを知っていたのです。イエスは弟子たちに言われました。「人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない…」(ルカ24:7)。しかしイエスの心は動かされず、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐに向けられました。

サマリヤ人たちは、顔つきから、イエスがエルサレムに向かっているのがわかっていると、イエスを喜びませんでした(ルカ9:53)。イエスの決断は顔つきを見れば一目瞭然でした!何故でしょうか?イエスは父なる神がご自身を信頼していることをご存じでいたからです。

御父がすべてのことをイエスの手に委ねられていたが、世のために死ぬかどうかはイエスにかかっていました。しかしイエスは決心していました。このように、あなたも自分の人生をもってイエスに仕え、何があってもクリスチャンとして生きていくことを決意しなければなりません!

イエスはあなたを救うために決断を下したので、あなたもイエスにふさわしい決断をしてください。主に仕えて全世界に福音を伝えることを妨げることはどんなことも許さないでください。あなたの表情に現れるほどにその決意を確固たるものしてください。

告白
私は確固として主に向かい、主の栄光のために生きます。私は聖霊と神の御言葉を喜びとし、魂を獲得することに熱中します。今日の世界にある課題や困難にかかわらず、私は主に仕えることを決意し、栄光と義の内に明るく輝きます。 ハレルヤ!

参照聖書
(2コリント5:14-15) というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

(ヨハネ9:4) わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。