7月17日(月)
キリスト教:超自然的な人生への召し
Christianity: A Call To The Transcendent Life

「神がこのようなことをしたのは、異邦人のあなた方に、その素晴らしい栄光の奥義を理解してほしかったからです。その奥義とは、キリストがあなたのうちに住んでいるということです…」(コロサイ1:27現代英語訳)

キリスト教では、宗教を受け入れていないのです。私たちが実際に受けたものは、神の性質、つまり神の命です。キリスト教は世界の宗教の一つに過ぎないという誰かの欺瞞(きまん)に陥ってはいけません。キリスト教は宗教ではありません。キリスト教は関係であり、つまり栄光と愛の超自然的な人生への召しなのです。誰かと関係を持つとしたら、それは宗教ではないのです。

キリスト教を宗教と表現する人は、宗教家が行うすべての外見的なことが、クリスチャンが行ういくつかの外面的なことと一致しているように見えるため、そう表現します。例えば、宗教の中でも、彼らは祈り、おそらく読む本も持っています。また、彼らは宗教的なしきたりや儀式が定めているのです。

キリスト教では、聖餐式や水のバプテスマ(洗礼)などの儀式があります。しかし、このような儀式をしたからといって宗教とは言えません。動物を見て、「両手と両足があって歩けるなら、それは人間だ」と言っていないのです。それで十分ではありません。もしそうでないと、ゴリラや他の類人猿も人間に分類されてしまうでしょう。

キリスト教は実際の経験なのです。キリスト教は人間のうちにある神のダイナミックな命なのです。キリスト教はあなたのうちに生きておられるキリストです。キリスト教は、真実で、生きておられるキリストとの同志関係です。それは神性との一体性への呼びかけです。「しかし、主と交われば、一つ霊となるのです」(1コリント6:17)。ハレルヤ! キリスト教で、私たちはキリストのうちに生き、行動するのです(使徒17:28)。私たちは、キリストの体と、その肉と、骨の一部(エペソ5:30)なのです。

コロサイ1章26-27節は、そのすべてをまとめています!「これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。…この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」 キリスト教とは、あなたの心の中に生きておられるキリストなのです。まことの神との正しい関係です。キリスト教とは、義の中で神と共に歩むことです。ハレルヤ!

告白
私のうちにおられるキリストは、私を神の類いの仲間にし、神の栄光の輝きとし、私の世界に神の善意を伝える者とするのです。キリストは私の命です。キリストのうちに、私は生き、動き、存在します! 私は実り豊かで、生産的で、優れたものです。なぜなら、私は主と一体であり、真の関係において、主の体の一員であり、主の肉と骨の一部であるからです。神をほめたたえます!

参照聖書
(2ペテロ1:4)その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。

(1ヨハネ5:11-12)そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

(1コリント1:9)神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。