キリストは不敬虔な者のために死なれました
He Died For The Ungodly
「あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、」 (コロサイ1:21)
今日の御言葉では、不敬虔な人々が神を離れ、悪い行いによって心において敵となっていると表現されています。つまり、悪い行いのために、心の中で神の敵となっていたのです。しかし、明らかに彼らを敵だと宣言したのは神ではありません。むしろ、神は和解させてくださる方です。聖書に書かれています。「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで…」 (第二コリント5:19)
これは、エデンの園で神とアダムの間に起こったことに似ています。アダムは神に対して罪を犯し、園の木の間に身を隠しました(創世記3:8)。しかし、神はアダムを探しに来て、「アダム、あなたはどこにいるのか」と呼ばれました。神はなんと恵み深い方でしょう。私たちが罪人であっても、神の心の中で、私たちは敵ではなく、神は私たちを神のもとに連れてくる方法を考えておられました。主は計画を立てておられたのです。
コロサイ1章22節には、私たちに、キリストの贖いによる御業の目的と結果を知らせてくれます。「…あなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした」。キリストは、ご自身が何をしようとしているのか、それを行う前から知っておられました。ローマ5章6節には、「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました」とあります。これはとても感動的です。
キリストは、私たちが敬虔になるのを待たずに、私たちのために死んでくださいました。主は和解させる御業を始められたのです。「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです」(ローマ5:10)。ハレルヤ! 福音を持って不敬虔な人々に手を差し伸べ、あなたを通してその愛を表現しましょう。神は彼らに怒っておられないことを彼らに知らせてください。彼らはありのままの姿で、神のもとに来て受け入れられることができます。
イザヤ1章18節で、主は、「…あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」と言われました。神は、主イエスの御名の中で、神の霊によって、不敬虔な人々を洗い、聖別し、義とする唯一のお方です。ハレルヤ。
祈り
聖なる父よ、私に和解の務めを委ねてくださったことを感謝します。不敬虔な人々に仕え、キリスト・イエスにある救いをもたらすために、主の共同労働者、パートナーとなる特権に感謝しています。今日、世界中で福音が宣べ伝えられ、多くの人々の心に信仰が芽生え、メッセージを受け取って改心することを祈っています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ローマ5:6-8)私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
(使徒13:38-39)ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。
(ローマ4:5-8)何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」