A GOSPEL OF RIGHTEOUSNESS

「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。」(ローマ1:16-17)

長い間、人々は、神の前で義と認められるために、「義」を追求しました。しかし、神の義は、ただキリストの福音でのみ明らかにされます。キリストの福音は、明らかになった神の義の福音です。したがって、キリストの福音を受け入れるまで人は決して正しい生活を送ったり、神の義について知ることはできません。

義とは、あなたが神の御前で、罪に定めることなく、何の罪悪感や恐れ、または劣等感なく立つことができる能力を与えている神の本質です。義とは、神との交わりと神の公義に立つ能力でもあります。イエス・キリストの福音を通さなくては、この驚異的な義の命と主との一体となる他の道はありません。

これが、私たちの福音に対する静かになれない理由です。福音は人間の叫びに対する答えです。別の道があるかのように行動しないでください。福音に選択肢はありません。イエス・キリストの福音の以外に、人は、神の義を学び、受け取り、理解する道はありません。だからあなたの地域、都市、町、または国で静かにならないでください。大胆に福音を宣べ伝えてください。義の良い知らせを遠く広げましょう。

あなたには人の救いの鍵を握っています。ですから福音を宣べ伝え、人々に神の義を現してください。神の義を求める人々に答えてください。

祈り
私の中に神の命と性質を持っています。私は地球上で神の栄光を表明し、あらゆるところで神の義を確立させるキリストの代表者です。救いのメッセージが今日、人の心に入ると、その人々の霊に永遠の命が与えられ、その人の中に信仰が燃え尽き、神の義の輝きとなります。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書
(エレミヤ20:9) 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

(ローマ3:21‐22)  しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

(ローマ5:17) もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。