Discern The Body Of Christ
「みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。」(1コリント11:29)
神の言葉の実在をよく理解していない人は、間違いを犯し、最終的に自分の人生を危険にさらされます。マタイ22:29で、イエスはこのように言われました。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。」
今日の御言葉を例示で見ます。本文の箇所は、聖餐について印象的なことを明らかにします。ぶどう酒は単なる飲み物ではありません。パンが、キリストの体を表しているように、ぶどう酒は、キリストの血にあずかることです。この点について、使徒パウロはこう言いました。「…いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。」(1コリント10:20)
異邦人が偶像に供え物を捧げるとき、実際に彼らはサタンに捧げているのです。これは、その供え物がサタンに関係していることを意味します。それらのささげ物に参加する人は、誰でもサタンとの交わりをもたらし、その通路としてサタンを引き込まれます。その結果、一部の人々は病気と、精神的な問題を抱え、自分たちのために何もできなくなります。
同じように、聖書は私たちが杯を取りパンを食べるとき、神との交わりにいると言っています。神をほめたたえます!1コリント11:26は、聖餐は、キリストの血と体にあずかっていることを明確に告げています。それが、主の体をわきまえるように勧めている理由です。その力と重要性に注意してください。今日、わきまえないで主の体を受け取った多くの人が、彼らの体にトラブルを起こし、死んだ者もいます。
1コリント11:30はこう言っています。「そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。」 キリストの体をわきまえないことです。したがって、自分自身を吟味して、神の教会に正しく結んでください。地元の教会を無関心、または軽蔑的に扱わないでください。いつも愛をもって歩み、神の人々を尊敬してください。
祈り
愛する御父よ、キリストの血と体の聖餐にあずかる者に対する祝福に感謝します。キリストの体をわきまえるように助けてくださる御霊の導きに感謝します。私は、罪、病気、患い、死、そして悪魔に立ち向かって、永遠の勝利と支配を持っています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(1コリント11:18-34) まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。19 というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。20 しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません。21 食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。
11:22 飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
11:26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。30 そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
11:31 しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。32 しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。33 ですから、兄弟たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。34 空腹な人は家で食べなさい。それは、あなたがたが集まることによって、さばきを受けることにならないためです。その他のことについては、私が行ったときに決めましょう。