Our Superiority In Christ
「私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。」(コリント第一6:3)
聖書は、私たちが天使たちを裁き、また、世界を裁くことになると語っています。「あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。」(コリント第一6:2)。 これは、クリスチャンが神の天使たちよりも優れていることを意味しているのでしょうか?そうだと言い切れます。私たちが、キリストとのアイデンティティの感覚において優れています。
さらに、私たちは不敬な世界と神に従わなかった堕落した天使たちを裁くために、キリストとともに座っているのです。神に従った天使たちは裁かれる必要はありません。それにもかかわらず、私たちは天使たちより優れています。
そういう訳で、私たちは天使に礼拝したり、天使を通して祈ったりなどしません。クリスチャンはキリストと一つのものです。「しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。」(コリント第一6:17)。私たちはキリストとの共同相続人です。私たちは御言葉から生まれた神の子どもです。そして天使たちは神に仕える者たちです。ヨハネ8:35によれば、こう言います、「奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。」それにしても、天使たちには超自然的な力を持っています。私たちはイエスの名のもとに権威を持っています。
へブル1:13-14は語っています。「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」 神の聖なる御使たちはいつもあなたに仕えるためにいます。御使いはあなたの代わりに奉仕します。御使いはあなたの指示を受け働くためにあなたを待っています。あなたが御言葉を与えると、御使いたちはあなたの言うことを果たすため行動に移ります。
御使いたちはイエス・キリストに服従するため、そうなのです。彼らは聞いて服従し、私たちはキリストの中にいます(コリント第二5:17)。主と私たちが一つにされた結果で、私たちは天使、サタン、そしてどんな環境でも優位性であります。あなたが受けた勝利のいのちと、キリストにあるあなたの義と権威を意識して歩んでください。
祈り
慈愛に満ちる御父よ、私を御父と一体にしてくださりありがとうございます。御父の命と性質が私の霊にあります。私はこの一体性の有益を用いて、御父の代わりに世界を支配し治めます。御父の御心だけが私の人生と環境に固く立っています。主よ、私のために御使いを働かせ、悪魔と闇の勢力よりも私を優位させていただいて感謝します。私の中にあるキリストは、世界の勢力よりも偉大なのです。イエスの御名でお祈りします。アーメン。
参照聖書
へブル1:2-8、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」 また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
1ヨハネ4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。