The Confession Of His Lordship
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
人々に「あなたが救われていることをどうやって知ることができますか?」と尋ねてみましょう。彼らは「私は自分の罪を告白しました」と言うかもしれませんが、それは救いを受ける聖書的な方法ではありません。救いを受ける原則は、あなたの罪の告白するのではなく、あなたの人生におけるイエス・キリストの主となられたことの告白です。
聖書のどこにも、あなたがすべての罪を告白すれば、救われると記録していません。あなたが犯したすべての罪を思い出し、それらを告白することは不可能です。
あなたが必要とすることは、新しく生まれ変わることであり、あなたの口で、イエスを主として告白し、神が死者の中からイエスをよみがえらせたと心から信じることです。ローマ10:9-10節に書いてあります、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」 これがあなたをキリストにある新しい命へと導くのです。
最も注目に値する救いの物語の1つは、使徒9章のタルソのサウルの物語です。サウルは、主に出会うまでは、初代教会に大きく被害を与え、行く先々でクリスチャンを迫害しました。1テモテ1:13で、サウルは回心の前にクリスチャンに対する残虐な扱いに言及し、自分について、神を汚す者、迫害する者、そして暴力をふるまう者であると呼びました。後に、使徒パウロになったサウロは、ローマ10:9-10を通して、私たちに救いの原則を教えてくれました。
使徒8:35-39で、ピリポによって救いに導かれたエチオピアの宦官は、自分の罪を告白したからではなく、イエス・キリストへの信仰を告白した上で、救われることができました。したがって、私たちは必ず人々に、イエス・キリストの主としての確信が、救いに至らせる聖書的な方法であることを、理解できるよう助けなければなりません。
もし、あなたはこれを読んでいながら、まだ生まれ変わったことがない場合、救いの祈りのページに開き、その祈りを心から祈ってください。(本であれば最後の部分にある)
祈り
愛する御父よ、信じるすべての人を救う神の力である、キリストの福音を受け取って信じるように、私に恵みを与えてくださり感謝します。私は、まだ救われていない者を輝かしい義の命へ連れて行き、神聖な体験に参加しているあなたのパートナーです!この偉大な祝福と特権に感謝します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(1コリント1:18) 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
(ローマ1:16-17) 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
(ローマ10:13) 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。