2022年2月16日(水)
イエスは全ての人のために命を捧げました
He Gave His Life For All
「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」(エペソ4:5-6)
キリスト教は人の中にあるキリストの命です。キリスト教は宗教ではありません。しかし、それを理解しない人たちによって、キリスト教は宗教に分類されてきたのです。聖書によれば、キリスト教における教案として唯一の宗教は、父のない者を訪ね、やもめを助け、貧しい者の苦難を助けることです(ヤコブ1:27)。それ以外はすべて宗教とは関係がありません。
イエス・キリストは人間を救うために遣わされた唯一の方です。宗教指導者たちは戦争に行き、殺し、人々に自分たちの信念を受け入れるよう強要しました。彼らは自分たちを救うために他人の命を奪いました。しかし、イエスはすべての人のために、ご自身の命を捧げられました。それについて考えてみてください。
あなたは、誰に愛されていると思いますか。自分の言うことを聞かない人を罰し殺した人でしょうか。それとも、彼らが生きられるように、彼らのために命を捧げた人でしょうか。イエスは、あなたが神にとって価値ある存在であることを知らせるために、あなたの代わりにご自身の命を与えてくださったのです。もしかしたら、これを読んでいるあなたは、まだ新しく生まれ変わっていないかもしれません。しかし、あなたはこのことを理解しなければなりません。救いは、イエス・キリスト以外には、他の名前または手段によってもたらされることはありません。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」(使徒4:12)。
他には救いを受けることがないので、一部の人々が考えているような「他の信仰」とはあり得ないのです。今日の御言葉には「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、すべてのものの父なる神は一つです…」とあります。そして、第一コリント8章6節には「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです」とあります。
ヨハネの14章6節で、イエスは、「わたしが道(the way)であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」とはっきり言われました。イエスは「the」という定冠詞を使われて明確にしました。主は「私はある道だ」とか「道の一つだ」とは語られませんでした。これが、私たちが福音を伝える理由であり、イエスが人々のために、ご自身の命を渡してくださったことを、人々が知るためです。人類はこれ以上失われた状態ではありません。今、彼らは福音を聞いて救われることができ、主イエス・キリストのやがて来る再臨に備えることができるのです。そして、私たちは主が来られるまで、それを続けなければなりません。
祈り
愛する父よ、イエス・キリストを通して主と交わりができることに感謝します。私たちが霊の中で人の心を打ち勝ってくるとき、今日、世界中の人々が救いを受け入れることができますように祈ります。そしてキリストの輝かしい福音の光が彼らの心の中で輝き、救いと義の働きが実りをもたらされます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(使徒4:12 NIV)この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。
(使徒13:38-39)ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。
(ヨハネ15:13)人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。