2022年9月28日(水)
イエスはすべての人のために裁かれた
He Was Judged For All Men

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

今日の御言葉で「罪」と訳されている言葉は「裁き」という意味もあります。一部の人はそう思わないかもしれませんが、裁きは、神のご計画の一部なのです。聖書は、人間に対する二つの主要な裁きを明確に示しています。一つ目の裁きは、主イエスが人類の罪のために十字架上で裁かれた時です。もう一つは、裁きの日、つまり大いなる白い御座の前に行われるものです。

多くの人は、後者の裁きに親しみを覚えるのではないでしょうか。ローマ8章1節によると、人は二度目の裁きを受ける必要はありません。イエスがカルバリの十字架上であなた自身のために裁かれたという真理を受け入れることによって、神の義を手に入れることができるのです。イエスは私たちの罪のためにいけにえとなり、その死によって対価を支払ってくださったのです。

ローマ3章24-26節によると、私たちはキリスト・イエスによる贖いのゆえに、神の恵みによって値なしに義と認められたのです。「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」(ローマ3:24-26)神をほめたたえます!

イエスが墓の中にとどまることなく、三日目に復活されたことを感謝します! 今日、イエスを信じる人は誰でも、あらゆる罪から義とされ、裁きから切り離されるのです。ハレルヤ! イエスが私たちのために成し遂げてくださったことは、罪の赦し以上のものです。イエスは私たちを新しい命に導き、私たちは今、新しい性質を持っています。ハレルヤ!

これが福音なのです。「もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです」(ローマ5:17)。今、人は誰でも大胆に恵みの御座の前に出て、憐れみを得ることができます(ヘブル4:16)。しかしいつか、遠くないある日、その恵みの御座は、キリスト・イエスにある救いを拒んだ者たちに裁きの御座となるでしょう。そのため、主は私たちを遣わして、彼らの救いのために代価が支払われたことを世に知らせたのです。イエスは彼らの代わりに裁かれたのです。

祈り
義なる父よ、イエスが世の罪のためのいけにえとなり、その死によって刑罰が完全に支払われたことを知ることは、なんという喜びでしょうか。今、私は、イエスが私のために十字架上で裁かれたという真理を受け入れることによって、主の義を手に入れました。私は神の愛する御子の王国に属し、住んでいるので、この暗やみの世に働く破壊や裁きから遠く離れているのです。アーメン。

参考聖書
(ローマ4:25)主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

(ヨハネ3:16-17)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。