2022年9月29日(木)
真摯な心で御言葉を受け止める
Receive The Word With A Sincere Heart

「私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。」(詩編119:162)

イエスが説教したとき、イエスに耳を傾けて信じる者と、批判的でイエスの欠点を見つけようと耳を傾ける者がいました。パリサイ人たちは、義人を装った間者を送り、イエスの言葉を取り上げて律法にひっかかるようなことを言わせようと機会をねらっていたのです。彼らはイエスに次のように尋ねました。「ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか」(ルカ20:22)。

その質問は罠でしたが、イエスは、間者たちの悪巧みを見抜いていたのです。そのゆえ、イエスは彼らにカイザルの像が描かれたローマのデナリウス(硬貨)を指し、「… カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」(ルカ20:25)と言われました。彼らは、イエスの話を聞いて、信じて、祝福されるためにそこにいたのではありません。彼らはイエスを、イエスの言葉で罠にはめようとしました。しかし、イエスは知恵の化身なのです。

マルコ12章13節には「さて、彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところへ送った」とあります。マタイの記述では「そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した」(マタイ22:15)とあります。そして、ルカ20章20節には「さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を送り、イエスのことばを取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った」とあります。

イエスの集会に参加した人たちの中には、さまざまな理由で参加した人たちがいるのがわかりますか。では、イエスは知っておられたのでしょうか。明らかに知っておられたのです。しかし、イエスは彼らを暴くことはせず、主の教えを聞いた後、彼ら自身に決断させたのです。それは今日も同じことです。あなたはどのように御言葉を受け取っていますか。あなたは真摯な心で御言葉を受け取っていますか。

聖書には「ですから、すべての汚れたもの、悪のはびこるものを取り除き、へりくだった(穏やかな、慎み深い)霊で、あなたがたの魂を救う力を含んでいる(あなたがたの心に)植えられ根付いた御言葉を受け取り、迎え入れなさい」(ヤコブ1:21 AMPC)と書かれています。あなたが神の御言葉を聞くとき、本当に、真実で、誠実な、正直な心で、真理のままにそれを受け止めるのです。主の御言葉は主の知恵であることを忘れないでください。箴言4章5-6節に「 知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ」と語られているのです。

祈り
父なる神よ、主の知恵が私の中で働き、私は正しい判断、正しい考えを持ち、正しい決断をすることに優れています。私は御言葉によって進み、知恵の声に正しい心で耳を傾けています。私は主の栄光のために、正しい目的のために、正しい時に、正しいことを言い、実行します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖書
(第二コリント4:2) 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

(第一テサロニケ2:13)こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。

(へブル4:12)神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。