2022年10月5日(水)
イエスはいのち
Jesus Is The Life
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです…』」 (ヨハネ14:6)
生命の起源を知ることは、科学にとって最も複雑な謎の一つです。これまで誰も生命を創造したことはありません。生命の源や実体そのものは、人間には知られていないのです。しかし、ヨハネ1章2節には、とても深いことを教えてくれます。「このいのちは現われ、私たちはそれを見たので…」
つまり、生命が無の中から出てきて、私たちに見せてくれたのです。それは、なぜでしょうか。ヨハネと当時の人々は、誰が何を見て、いのちと呼び、理解したのでしょうか。それは、イエスです。イエスこそ、いのちそのものなのです。ハレルヤ! 想像してみてください。もしあなたに「私は命だ、私はあなたの存在に責任がある。」と言う人や物がいったとします。その時、あなたはどう思うでしょうか。
ところで、そんなことが起こったのです。それが今日の御言葉に書かれていることです。イエスは「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです」と言われました。これは驚くべき宣言です!誰がそのようなことをあえて言うことができるでしょうか? しかしイエスはその主張を証明されました。ラザロという男が死んで、4日間埋葬されていたので、人はイエスを呼びに行きました。イエスがそこへ着くと、ラザロの姉であるマルタに言われたのです。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)
しばらくして、イエスはラザロの墓のそばに立って「大声で叫ばれた。『ラザロよ。出て来なさい』」(ヨハネ11:43)。すると、集まっていた人々は戸惑う中で、ラザロが生き返ったのです。ハレルヤ!主が死からよみがえらせたのは、ラザロが初めてではありませんでした。主は、ナインでやもめのひとり息子を生き返させ(ルカ7:11-17)、ヤイロの娘(ルカ8:41―56)も生き返らせました。ハレルヤ!
イエスは復活であり、命なのです。神はイエスが、父からいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、すべての人を支配する権威をイエスにお与えになったのです(ヨハネ17:2)。これはイエスが来られてなさったすべてのことを含んでいます。その中でも最も重要なことは、主が私たちに命を与えたことなのです。あなたは新しく生まれたとき、その命を受け、神のご性質にあずかる者となったのです。「…このいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません」(第一ヨハネ5:11―12)。神に栄光をお返しします。
告白
私は新しく生まれたので、私の中に神の命と性質そのものがあります。この神の命は私を動じない者とし、常に勝利と栄光と支配と優秀さのうちに歩むようにさせるのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン!
参照聖書
(ヨハネ10:10)盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
(第一ヨハネ5:11-13)そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
(第一ヨハネ1:1-3) 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。