2024年8月25日(日)
イエスに従いなさい
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「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』」(マタイ4:19)

上記の節で、主が言われたことに注目してください。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」あなたのすべきことは、主に従うことであり、そうすれば主はあなたの夢をすべて叶えてくださるのです。主に従いなさい。主はあなたの人生に対する神の召命と運命を成就させてくださるのです。しかし、どうやって主に従うのでしょう。

もしあなたが、イエスの時代のイスラエルに住んでいたなら、イエスに従うとは、通りから通りへ、村から村へ、町から町へと、物理的にイエスに同行することだと思ったかもしれません。しかし、それ以上のことです。実際にイエスについていたユダは、結局イエスを裏切って去ってしまいました。これはイエスを肉的に従うだけでは不十分であることを証明しています。

イエスに従う第一の側面は、御言葉にあってイエスに従うことです。イエスは生ける御言葉であるからです。ヨハネの福音書1章14節にはこう書かれています。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」御言葉によって主に従うとき、あなたはイエスご自身に従うことになるのです。書き記された御言葉は、すべてイエスに関するものなのです。

第二に、御言葉を通してイエスに従わなければなりません。あなたが御言葉を学ぶうちに、イエスを見つけ、主の考え方、主の信念を理解し、主の行動を観察することができます。イエスがあらゆることについてどのように対応されたかを知ることができるのです。例えば、吹き荒れる大嵐にイエスがどのように対応されたか、自然に対する権威を示され、混沌の中にあっても平安をもたらす能力を示されました。(マルコ4:38-39)

イエスに関するすべては御言葉の中に明らかにされています。様々な状況の中で、イエスがどのように対応されたかを学ぶことは、私たちの人生に貴重な洞察を与えてくれます。お腹が空いたとき、イエスはどうされたのか。疲れを感じたとき、イエスは何をされたのか。主はすべて、私たちに生き方を示すためになさったのです。ですから、私たちは御言葉の中で、御言葉を通してイエスに従わなければなりません。御言葉によって従うとは、御言葉に基づいて行動すること、御言葉にあることを実行することです。ヤコブ1:22(NIV)にはこう書かれています。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」

祈り
愛する父よ、御言葉の中で、御言葉を通して、イエスに従うことができる特権を感謝します。私は毎日御言葉に浸り、その神秘と奥義を理解し、主の原則と教えを私の人生に適用するための深い洞察力を与えられています。私は御言葉を実行する者です。私は人生のあらゆる面で勝利と成功を経験します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ8:31-32)そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

(ルカ9:23)イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

(ヤコブ1:22-25)また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。