2025年4月26日(土)
イエスが主であることの認識
The Recognition Of His Lordship
「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。」(ローマ10:13)
前回の学びでは、クリスチャンとしての私たちの権威は天からもたらされるという事実を確認しました。私たちは天から支配するのです。しかし、この権威を行使する基盤は、私たちの信仰とイエス・キリストとの関係に根ざしています。イエスの御名は、私たちの救いと神の権威の中心です。
あなたがキリストを受け入れたその瞬間から、イエスを主として告白することは、キリストにおけるあなたの旅の始まりとなったのです。神の民は、イエスの主権の理解を教えられ、訓練される必要があります。つまり、イエスは私たちの人生の主人であり、あなたの言葉、あなたの考え、あなたの選択と決断、そしてあなたの存在のあらゆる側面を支配する権威を持っておられるのです。
これに関して最も美しいことは、あなたの人生に対するイエスの主権は愛によるものであるということです。私たちは主の大きな愛の対象なのです。私たちは主の愛の支配に従うのです。聖書によれば、私たちが主を愛するのは、主が私たちをまず愛してくださったからです。(1ヨハネ4:19)それが、私たちが主を礼拝する理由なのです。それは習慣からではなく、畏敬の念、服従、そして主であることの認識からです。
もし主であることを認識し、イエスは主であると告白しなければ、ひざまずくことは単なる儀式になってしまいます。ひざまずくことは、イエスがあなたの主であり、その権威に畏敬の念を抱き、服従するからなのです。「でも、イエスは私の主ですけれども、私の友なのです。」と言うかもしれません。その通りです。しかし、あなたはイエスの主権を認識し、学び、従い、そのように敬わなければならないのです。
王の真の友人は、王に最高の敬意を払うのです。イエスの友として、あなたがイエスを敬うことは、他の人々が従うべき模範となるべきです。あなたはイエスを今よりさらに敬うべきです。イエスは栄光の偉大な王であり、すべてを支配する主で、そして天地の支配者である方なのです。イエスはご自身が誰であるかを知っておられます。イエスはとても偉大でありながら、私たちに愛情をもって接してくださる方です。
イエスは弟子たちに「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」(ヨハネ13:14)と言われました。主は、ご自身の謙遜を模範として、私たちに謙遜であることを教えられたのです。主はご自身のアイデンティティを確認するために肩書きを必要とされませんでした。あなたの人生をもって主を敬ってください。礼拝と行動で主を敬ってください。
祈り
愛する主イエスよ、私の人生における主イエスの主権を認めます。イエスは私の主であり、王であり、すべてを支配する主です。あなただけが神であり、近づきがたい光の中に宿る不滅の存在です。主は天と地の支配するお方です。私は主を礼拝し、崇めます。すべての誉れと栄光と永遠の力が主にあります。アーメン。
参照聖書
(ピリピ2:9-11)それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
(ヨハネ13:13-16)あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。
(使徒10:38)それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。