2025年1月11日(土)
より大きな栄光の日々
The Days Of The Greater Glory
「…見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」(ヤコブ5:7-8)
主イエスは御父を農夫と呼び、キリストの体である私たちは、主が待ち望む大地の尊い実りです。使徒ヤコブもまた、冒頭の節で、農夫は初めの雨と後の雨を受けるまで忍耐強く待っていると語っています。(ヤコブ5:7)
私たちはイスラエルに関しては、ペンテコステの日に後の雨が始まったと理解しています。ペテロが「……神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」(使徒2:16-17)と言ったとき、このことを確認したのです。これは、終わりの日々に起こると預言されていた注ぎの始まりでした。
ホセア書6章3節は、この約束についてさらに深い洞察を与えてくれるものです。「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」ホセアで語られているこの雨は、イスラエルと教会の両方に関係しているものです。イスラエルでは、聖霊降臨祭(ペンテコステ)のときに、後の雨が降り、初代教会に聖霊が注がれました。
しかし、教会においては、ペンテコステの日に注がれたのは、後の雨ではなく、初めの雨でした。初めの雨とは、神の言葉が蒔かれた後に降る、芽を出し成長させる雨のことです。使徒の働き2章は、聖霊の降臨による教会の始まり、教会の新しい時代の始まりを示しています。
預言者ハガイはまた、来るべき大きな栄光について語りました。「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。」(ハガイ2:9)つまり、初めの雨は栄光に満ちたものであったとしても、私たちが今経験している後の雨は、最初に見たものをはるかに上回るということです。私たちは、教会が神の栄光と力をさらに大きく現す、より大きな栄光の時代に生きているのです。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネはイスラエルに関する終わりの日々に生きましたが、私たちは教会に関する終わりの日々に生きているのです。イスラエルにとっての「後の雨」は教会にとっての「初めの雨」であり、私たちはその「後の雨」が満ちる時に生きているのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、私は初めの雨と後の雨によって育まれたあなたの尊い実の一部であることを知り、喜びます。この終わりの時代に、今、教会に現れているより大きな栄光を感謝します。私は今日、あなたの御霊の力と充満のうちに歩み、義の実とわざをもって私の世界に影響を与えます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(使徒2:16-17)これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
(ヨエル2:23)シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
(ゼカリヤ10:1)後の雨のときに、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。