The “More Excellent” Glory

“このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。”(ローマ 6:11)

出エジプト記34章は、モーセはどのように四十日四十夜の間神様の臨在の中で“十戒”を受けたのかを語ってくれます。その戒めは普通に書き取るのに一日もかからない短い文章です。しかしなぜモーセは、その戒めを受けるために四十日四十夜をとどまったのでしょうか?なぜならモーセにその戒めは、単純な“戒め”ではなく、いのちだったからです。

モーセが十戒を受けてシナイ山から下りるとき、アロンとすべての民たちは彼を見て彼の顔のはだが神様の栄光を放つのを見て、彼に近づくことを恐れました。(出エジプト34:30)  モーセの顔から栄光の光が放つと、モーセは顔におおいを掛けなければなりませんでした。当時民たちは神様の栄光の御前に立つことができなかったからです。どのようにその程度の栄光の光が彼に映される(rub-off)ことができたのでしょうか?それは神様が言われたことを黙想することから始まったものです。

モーセは自分の顔が神様の栄光{[ギリシャ語] ドクサ(doxa)}で輝いていたことが分からないほどに神様のみことばを深く黙想しました。神様のみことばがまさに栄光があるところです。みことばはモーセにある感動を与え、それが彼の体にも影響を及ぼしました。その以降モーセは祈る時はおおいをはずしたが、人々の前に出て来ると顔におおいを掛けました。

今日私たちが持った栄光はモーセが受けたものをはるかに超えます。そして私たちは顔のおおいを掛ける必要はありません。その栄光は私たちの霊の中にあるからです。“私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。”(Ⅱコリント3:18) 私たちが神様のみことばで父の栄光を見るとき、私たちは栄光から栄光へと変えられます。

告白
私の人生は神様の栄光と恵みと完璧さと美しさと義の表現です。神聖な卓越さと慈しみが私の中で、そして私を通してますます増え美しさとして現れます!みことばの中で神様の栄光を見上げる時、私は聖霊様を通して栄光から栄光へと継続的に変えられます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句:
詩篇 82:5-7
マタイ 13:15

1 年聖書通読:
ローマ 11:1-24
詩篇 79-81

2年聖書通読:
ピリピ 1:1-8
イザヤ 59