GIVING AND RECEIVING

「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。」(ピリピ4:15)

時折、「主に捧げものにおいて、種の「大きさ」は重要ではありません」と言うと、非常に喜ぶ人がいます。しかし、聖書に、「…少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」(2コリント9:6 )とあります。

言い換えれば、あなたが与えるものが乏しくならば、収穫も乏しくとなり、寛大に与えるなら、寛大に刈り取るということです。それは御言葉が示す霊的な法則です。それは簡単に話すと種まきと刈り取りで、パウロはそれを今日の本文で「物をやり取り」と言います。あなたはすでに神が定めた法則を働かせるために、神に「祈る」必要はありません。どんな種類の法則であれ、正しく適用されているならば、その通りの結果をもたらします。同じく、あなたがその規則を誤って適用するならば、痛い目に遭うことでしょう。

一応あなたが御言葉や霊的原則に沿って行なったなら、神にそのことが叶うように請願する必要はありません。これは、神の国がどのように機能しているかについて、イエスのいくつかのたとえによって明らかです。たとえば、マルコ4:26-28で、イエスは、「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。」と言われています。

イエスは種を地に蒔いた後、成長するように断食して祈りなさいとは言われていないことに注目してください。むしろ種蒔いた人は、眠りにつきましたが、種は成長して実を結びました。種蒔きの法則を適用すると、それは働くのです。聖書に、「地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」とあります(創世記8:22)。種蒔きの時期がある限り、収穫は必ず保証されることが可能です。収穫は自動的に起こるのです。

神だけが必ずしも収穫を起こさせているのではありません。神の働きは、豊かさのために、あなたに向けて神の恵みと好意を送るのが全てです。 2コリント9:8(AMPC)は、こう書いてあります。「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて[援助や支援を必要とせずに、十分に所有し]、すべての良いわざに[慈善活動をするのに豊かに提供され]あふれる者とするために、あらゆる恵み[すべての好意と世界の祝福]をあふれるばかり[自給自足になるように]与えることのできる方です。」 いつも惜しむことなく、豊かに与えなさい。神の約束は、受けるものではなく、与えるものに対して向けられています。(ルカ6:38)

祈り
天の御父よ、福音に種まく特権を与えて感謝します。私はすべてのことに恵まれ、すべてのことに繁栄しています。なぜなら、私は与える者だからです。私は地上で、キリストの福音を宣べ伝えるために、いつも種を蒔き、蒔いた時点で、私は刈り取ることを確信します。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書
(伝道者11:6) 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

(ルカ6:38) 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」