True Confession
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)
聖書が告白について語るとき、多くの人は罪の告白の点に関連させますが、告白はそれ以上のものです。告白とは、同意して神と同じことを話すことを意味します。それはギリシャ語の 「ホモロギア(homologia)」から派生して、神の子としてあなたの救いと同時に始まることで、神の国の原則の一つです。
あなたは告白せずに救われることはできません。その告白は罪の告白ではなく、あなたの人生に対するイエスを主として受け入れる宣言です。
ローマ10:9-10は語っています。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」これがあなたを救いに導く真の告白です。
誤ったことを告白する唯一の時は、あなたがクリスチャンになって永遠の命を受けた後です。あなたが何か間違っていると、あなたはそれについて主に話し、許しを受けます。神に話しても、実際にはあなたの罪を告白しません。神は私たちに罪を告白するように言わなかったからです。神はすでに知っておられます。あなたは、あなたの過ちにつまずいてしまった兄弟や姉妹に告白したり認めたりします。それが、今日の本文で読んだことです。
ある人は、「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」と語っている、1ヨハネ1:9の御言葉はどうなの?と尋ねるかもしれません。一部の人々は、私たちが常に罪を犯し、永続的な罪と告白状態にあることを、この箇所が意味すると信じているが、これは事実ではありません。この箇所の意味は、もし私たちの罪を認めれば、神は私たちを許してくれることを意味します。ヨハネ2:1は、「もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」と言っています。「だれでも罪を犯したなら」とは言わず、「だれかが罪を犯したなら、」と言ったことに注目してください。これは、罪が、永続的ではないことをあなたに知らせています。
さらに、聖書は、「罪はあなたがたを支配することがないからです」(ローマ6:14)と述べています。ハレルヤ。
祈り
キリストにあって私を救ってくださり、私を罪から解放し、罪を完全に消し去ってくださった栄えある御父に感謝します。私はすべての場所で神の正しさを示して生きているキリスト・イエスにあって神の義であります。イエスの御名でお祈りします。アーメン。
参照聖書
ローマ3:24-26 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
1ヨハネ4:14-15 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。