Cleansed From All Unrighteousness

しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(1ヨハネ1:7)

イエスを通して神に感謝します!聖書には、私たちがイエスのうちにあって、血によって贖い、すなわち罪の赦しを得ています(コロサイ1:14)と述べられています。これは大変説得力があります!イエスのおかげで、過去、現在、未来の、あなたのすべての罪は赦され(完全に取り除かれ)ています。

私たちが、神に義とされた者と呼ばれるのは当然のことです。私たちは、「恵みによって救われた普通の罪人」ではありません。あなたは、「素晴らしき恵み、私のような哀れな者を救われた、なんと心地よい響きか….」と歌われるような、「哀れな者」ではありません。罪人でさえも、哀れな者ではありません。イエスは哀れな者のために死なれたのではありません。あなたは特別な人です。

あなたは、神の御子の血ほど価値があります。その血は、「すべての罪、すなわち、すべての不義からあなたを清める」と聖書に書かれています。「清める」という現在進行形に注目してください。これは、あなたが必要とするたびに起こるということを意味します。

私たちは汚れた世界に生きており、周囲には多くの不義があります。時には、そのような不義が私たちに影響を与えています。しかし、神に感謝します!イエス・キリストの血は、すべての不義からあなたを清めてくださいます。それは自動的です。ハレルヤ!!これは、私たちが今日の聖書箇所で読んでいることです。

聖書は、私たちが罪の許しのため、求めて祈ったのちに清められるとは述べられていません。イエスの「血が罪からあなたを清めてくださるでしょう」とも述べられていません。未来時制で書かれていません! このことは、継続的で自動的なプロセス(過程)です。主の血は、必要が生じるたびにあなたを清めてくださるのです!これは神の御前では完全に合法的なのです。

神が、私たちをきよく、傷なく、非難されるところのない者として見ておられるのは不思議ではありません(コロサイ1:22)。また、第一コリント6:11では、私たちが、主イエス・キリストの御名と神の御霊によって洗われ、きよい者とされ、義と認められたと述べられています。神が祝福されますように!

神の言葉に照らして、あなたが義とされたことを知り、理解して意識的に行なってください。キリストにあるあなたの本性は罪の下にいないので、罪を心配する必要はありません。

告白
主のあわれみによって、私を救ってくださり、その恵みによって私を義とし、永遠のいのちの相続人としてくださった主をほめたたえます。私はキリストにあって私の人生を楽しみ、義の中で生き、モーセの律法では義とされなかったすべてのことから義と認められました。私の人生は神の栄光のためなるものです。ハレルヤ!

参照聖書
(1ヨハネ1:7) しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

(ローマ 4:6-8) ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。8 主が罪を認めない人は幸いである。」

(ミカ 7:18-19(AMPC) あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。