12月23日(金)
さらに偉大な知恵
Greater Wisdom

「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。彼は、すべての人よりも知恵があった…」 (列王記上4:29-31)

ある日、主が私に、キリストのうちに私たちが持っている神聖の知恵は、ソロモンが持っていたものよりもはるかに優れていることを教えられました。私は驚いて「主よ、ソロモンは今まで生きてきた人の中で最も賢い人でした」と言いました。ところが主はこう答えられました。「そうだね。しかし、あなたの知恵はわたしの知恵です。」キリストは私たちの知恵となられたのです。「しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました」(第一コリント1:24、30)。

そして、神はソロモンが語ったことを聖書で確認するようにと指示されました。「彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。」(列王記上4:32-33)

ソロモンは木や植物、獣などについて語り、すべての人よりも賢かったのです。主は、キリストにおいて私たちはソロモンが知っていることよりも高い次元のものを話していると示されました。私たちは奥義を語ります。人々はその奥義を理解できないのです。「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです」(第一コリント2:7)。私たちは、御霊の領域と神の御国に関するより高いことについて語るのです。

隠れた知恵を私たちがこの世にもたらすことができる方法の一つは、御霊を通して、すなわち、異言で話すことです。聖書には「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです」(第一コリント14:2)とあります。聖霊によって、私たちは奥義を話します。そして,解き明かすことができる賜物によって、その奥義が何であるかを知るのです。

異言で祈り、その内容を解き明かすと、あなたは時々聖霊や御言葉から、何かの聖句や説明が語られたことに気がつくでしょう。これらが奥義です。次に異言で祈るとき、知恵があなたを通して話すので、霊的に目を覚ましていることが重要です。もしあなたが祈り続けるなら、解き明かしてくれるでしょう。もしそうでなければ、異言の解き明かす賜物を求めて受け取るのです。

告白
神の知恵と義と愛と恵みが今も私のうちに働いています。それにより私は、御国の奥義と神秘を知り、より深く完全に洞察することができます。私の理解の目は明るくなり、福音の実在と真理が明らかになるのです。ハレルヤ。

参照聖書
(エペソ1:8-9)神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、

(第一コリント1:30)しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

(第一コリント2:6-13)しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。