5月21日(日)
あなたは主に受け入れられている
You’re Accepted Of Him

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び…愛をもってあらかじめ定めておられたのです…」(エペソ1:4-6)

 
ある人は、自分の良い行いに基づいて、神が自分を受け入れてくれることを期待して生きています。しかし、良い行いだけでは、神の御前に立つ能力を得るには十分ではありません。あなたは「私自身の人生を振り返ってみても、何の罪も見つからないのに、なぜこんな目に遭うのだろう」という状況を経験しているのかもしれません。

聖書は「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2:8-9)と言っています。さらに、ガラテヤ2章16には「律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいない」とあります。

神に受け入れられるために、正しく生き方で神を喜ばせようとする闘いは不要なのです。御霊がすでに御言葉を通して「愛をもってあらかじめ定めておられた」(エペソ1:6)と私たちを呼んでいるのに、なぜ、神に受け入れられるために苦労する必要があるのでしょうか。あなたは神の御前に受け入れられ、義とされたのです。この真理を受け入れて、今は真理に従って神を喜ばせるために生きるのです。

神は、世界が築かれる前にあなたを選ばれ、あなたは愛の中で神の前に聖く責められることのない者として、神の臨在に受け入れられるように定められました。これが、あなたの霊における主の義があなたにもたらした祝福の一つなのです。あなたは罪悪感や劣等感、非難なしに大胆に神の御前に立つことができるのです。キリストにあって、あなたは神の前に正しく立つことができるのです。ハレルヤ!

もはや、新しく生まれたあなたは、神の臨在の中に住み、神が望むように自由に神に仕えることができるのです。 この真理が、今現在あなたの意識になるまでは、あなたのクリスチャンの生活はいつも苦しく奮闘するでしょう。しかし、そういう生き方は必要がないのです。あなたにとってのキリスト教は、日々経験する神聖の交わりであるべきです。

祈り
愛する天の父よ、主の愛と恵み、そして義が私のうちに働いていることを感謝します。愛の中で、主の御前に聖なる者、責められることのない者となるよう私を選んでくださったことを感謝します。私は今日、知恵のうちに歩み、主のよろこびを満たし、義のわざを生み出します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ローマ8:1-2)こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

(エペソ2:8-10)あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

(詩編4:3-5)知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。セラ。義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。