2024年2月29日(木)
あなたの罪の性質に代わる神の義
His Righteousness For Your Sin-nature
「というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。」(ローマ6:14)
冒頭の聖句では、罪があなたがたを支配することはないと言っています。これは、新しい生まれた男女 皆は、罪から自由に生まれ変わったからです。その前の節で、使徒パウロは、私たちの義、救い、神から受けた恵みが、どのようにもたらされたのかについて語りながら、富んだ質問をしています。「罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」
パウロは自分自身や他の使徒たちだけを指していたのではなく、私たち全員を指していたのです。私たちは罪に対して死んだものです。それは、罪があなたについて何の力もないという意味です。罪の性質が義の性質に取って代わられたのだからです。
1コリント15章56節は、罪の力は律法であるが、罪が何かを知らせる律法がイエスによって廃されたことを知らせてくれます。罪に力を与えていたもの、すなわち律法はイエスによって廃止されたことを知らせています。エペソ2章14節から15節では言っています。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。…」
主イエスは、罪、死、墓に打ち勝つ勝利を私たちに与えてくださったのです! 私たちは、ただ義とされたのではなく、キリスト・イエスにあって神の義とされたのです。この啓示によって自分自身を見てみましょう。一方、生まれ変わっていない人は、生まれながらにして罪人であり、罪の奴隷です。罪の性質を持っているため、罪を犯したくないときでも、罪を犯さずにはいられないのです。
しかし、あなたはそのようなことはありません。あなたは性質的に義人です。神がそのように造られたのです。あなたの義は神からの賜物であり(ローマ5:17)、その義はあなたにとって正しい行いと正しい生き方をする能力を与えるのです。
人間的な力によって、あなたが義になるために自らできることは何一つありません。また、同様に、神の御前であなたを義に認められるのに、十分ではないものはありません。あなたはイエスが義であるように、同じ義と認められたのです。神があなたの罪の性質をイエスの義に代えてくださったからです。
告白
信仰によって義とされた私は義人です。私は罪のない者とされました。キリストが新しい命を与えてくださったからです。キリストは私の罪の性質に代わって、ご自身の義を与えてくださったのです。もう私は神に生きていて、義の中で生きています。私は洗われ、聖別されました。私たちは主イエスの御名と神の御霊によって義とされました。アーメン!
参照聖書
(ローマ6:11-14)このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(6:1-14参考)