Recognize Christ In You
「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、…」(エペソ3:17)
一部のクリスチャンは御言葉を知らない結果、新約聖書と一致しない賛美を歌います。たとえば、「聖霊よ、わたしに臨んでください」と歌う人もいます。聖霊があなたの中に住んでいるので、それは何の意味もありません。聖霊は天におられるのではありません。 それでは、聖霊がどこから降りて来られますか。
彼らはそのような歌を歌いながら、祝福されていると思って、激しい感情的になり泣いたりします。しかし、実際に彼らは祝福されていません。 むしろそのような歌は、直しにくい不信仰を生み出し、結果的に彼らの信仰をより弱く、効果を失わせます。
聖霊は永遠に私たちと共に、私たちの中におられるのに、どうして聖霊を私たちにもう一度臨んでおられると求めることができるのでしょうか?イエスは言われました、「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」(ヨハネ14:16)。聖霊はペンテコステの日に来られた以来、再び戻っておらず、決して私たちを離れることはありません。神の子どもたちがすでに持っているものを探し求めている姿を見るのは、キリストの体の一部として非常に悲しいことです。
これは、今日の本文箇所で使徒パウロの祈りの理由と無関係ではありません。「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。…」 あなたは、「キリストはすでに心に宿っていたのではありませんか?」と疑問に思うかもしれません。パウロが「私たちの心」と言っていないことに気づいてください。パウロはキリストにあって霊的に未熟な人のために祈っていました。
私たちは霊的に幼いクリスチャンのために、そのように祈らなければなりません。なぜなら彼らは内在しているキリストを認識したことがないからです。残念ながら、長い間、クリスチャンであった人たちも、今日、このような祈りを必要としています。彼らも内在しているキリストを認識せず生きているからです。彼らはまだ彼らの中にあるものを探しています。彼らは天から何かが与えることを願っています。それでも、彼らが求めるすべてのものは、すでに彼らに与えられています。(2ペテロ1:3)
コロサイ1:26は、「あなたの中のキリスト、栄光の希望」と述べています。あなたの中におられるキリストを認めなさい。ハレルヤ!
告白
キリストは私の心を、キリストの住まいとされ、私の中で生きておられます。信仰によって、キリストに関するすべては私の霊の中にあります。私は超自然的の人生を送っています。キリストが私のうちにいるからです。私はどんなことでも闇の中を歩みません。キリストの中にある私の運命を成就するように義の道に導く私の心にあるキリストの輝きを認識するからです。ハレルヤ!
参照聖書
(エペソ3:17-19 ) こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
(コロサイ1:26-27) これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
(2コリント6:16) 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。