2026年10月4日(日)

私達はさらに優れたものがある

We’ve Got Something Better

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)

旧約聖書に登場する信仰深い男女について読むと、彼らの並外れた信仰の行いや神との交わりに心を動かされないわけにはいきません。例えばカレブは、85歳の時にこう宣言しました。「私は今も、モーセが私を遣わしたあの日と同じように力強いのです。」(ヨシュア記14:11)

モーセがこの世を去ったとき、彼は120歳でしたが、聖書にはこう記されています。「…彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」(申命記34:7)これらは、旧約時代における神の力の驚くべき現れでした。しかし、それらの記述がどれほど素晴らしいものであっても、私たちにはそれ以上のものがあります。私たちの中には聖霊が宿っているのです。

私たちの中には、永遠の命が働いています。キリスト・イエスにある命の御霊の法則が、私たちの存在の隅々まで及んでいます。これこそが、あなたが持つべき意識です。自然の状況や年齢、あるいは人間の限界に基づいて自分自身を評価することを拒んでください。イエスを死者の中からよみがえらせたその御霊が、あなたの中に住んでおられます(ローマ8:11)。その御霊が、あなたの体を若返らせ、活力を与えてくださいます。

年を重ねるにつれて、体力や健康、活力が必ず衰えるという世間の意見や期待を、受け入れたり、認めたりしてはいけません。いいえ!キリストにあって、私たちは年齢を超越しています。あなたは神の命と性質を持っているからこそ、永遠に健康で、体調も良く、活力に満ちているのです。

永遠の命は、あなたの存在のあらゆる部分の中で働いています。「命の御霊」の法則は、あなたの骨、腱、靭帯、そして体のあらゆる細胞や臓器の中で働いています。あなたの人生に関するこれらの真理を確信し、あなたの中に宿る神聖な命の自覚を持って歩んでください。あなたの中の聖霊によって、あなたの力は絶えず新たにされ、走っても疲れることなく、歩いても衰えることがないのです。それが、キリストにあるあなたの今この瞬間の現実なのです。

祈り

愛する父よ、私の中で働いているキリストの命に感謝します。私はキリスト・イエスにある命の御霊の法則によって生き、私の存在のあらゆる繊維に宿るあなたの神聖な命を意識して歩んでいます。私の力は絶えず新たにされ、私の中に住まわれる聖霊の力によって、健康、活力、力、そして卓越性をもって活動しています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書

(ローマ8:10-11)もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

(2コリント3:7-11) もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。10 そして、かつて栄光を受けたものは、このばあい、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。

(ヘブル8:6)しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。


2026年10月3日(土)

鷲の翼の上に載せられる

Borne On Eagle’s Wings

「鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。」(申命記32:11)

これは、神がご自分の民とどのように関わっておられるかを、実に美しく表現したものです。主はご自身を、雛を世話する鷲に例えられています。鷲は単に遠くから見守るだけでなく、雛が空を飛べるほど強くなるまで、積極的に訓練し、導き、守り、そして背中に乗せて運んでいくのです。

鷲は巣を揺らし、雛の上を羽ばたきながら飛び回り、雛たちの下に翼を広げて守ります。これは、神が私たちの生活の中でどのように働いておられるかを示しています。神は、私たちを独りで苦闘したり、自分たちだけで物事を解決させたりはされません。神は御言葉を通して私たちを導き、御霊によって私たちを強め、御心の完全な道へと導いてくださいます。たとえ状況が困難に見えるときでさえ、神は、あなたがより高い場所へと、より大きな勝利へと進むことができるよう、備えさせてくださっています。

イスラエルの民がエジプトから出たとき、主は彼らにこう思い出させられました。「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」(出エジプト記19:4)主は、彼らの守り、前進、そして成功が、人間の知恵や力によるものではないことを、彼らに認識してほしかったのです。主が彼らを背負い、支え、荒野における彼らの道となられたのです。

今日のあなたの人生においても、同じことが言えます。あなたは、自分の能力や知性、あるいは資源だけに頼ってはいけません。主こそがあなたの力です。主こそがあなたの知恵です。主こそがあなたのすべてです。主はあなたを支え、あなたの歩みを導き、あなたを勝利へと導いてくださいます。主は、あなたがこれから直面するあらゆる試練を知っておられ、すでにあなたを勝利者として定めておられます。

ですから、人生のプレッシャーや不確実性に押しつぶされることを拒んでください。主は、必要な時に常にそばにいて助けてくださるお方です。主はあなたを支えてくださいます。主はあなたを守り、強め、そしてあなたの人生における主の御目的の成就へと導いてくださるお方です。この意識を毎日持ち続けてください。

主は、あなたの成功に積極的に関わっておられます。主は御霊によってあなたを導き、限界や障害、逆境を乗り越えられるようにしてくださいます。嵐の上を高く舞い上がる鷲のように、あなたもまた、神の力と恵みに支えられ、この世の状況を超越して生きるよう召されているのです。

祈り

愛する父よ、私の人生における主の絶えることのない愛、導き、そして力に感謝します。私を導き、支え、守ってくださる主の御力を、私は完全に信頼しております。主が私の歩みを導き、あらゆる限界や試練を乗り越えさせてくださることを知っているので、私は確信を持って歩みます。今日、主の知恵と力が私の中で働いています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書

(申命記 32:11-13)わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。12 ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。13 主はこれを、地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い、

(イザヤ40:31)しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

(詩篇18:32-33)この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。


2026年10月2日(金)

神は私達を御元に導かれた

He Brought Us Unto Himself

「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」(出エジプト記19:4)

神がイスラエルの民をエジプトから救い出されたとき、その目的は、単に彼らを虐げから救い出すこと以上の、より大きなものでした。救いは、あくまで始まりに過ぎませんでした。神の究極の望みは、冒頭で読んだ聖書の箇所にある御言葉に明らかにされています。神は彼らを鷲の翼に乗せて運び、御自身のもとに導かれたのです。神は単に彼らをエジプトから連れ出しただけでなく、御自身のもとへ導き寄せられたのです。

これこそが、神の御心を明らかにしています。神の目標は、常に交わり、すなわち、人間との関係にありました。神は、御自身に属し、御自身と共に歩み、神の愛と御計画を深く自覚して生きる民を望んでおられたのです。だからこそ、神は続く節で次のように語られたのです。「……あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものだからであるからあなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」(出エジプト記 19:5-6)彼らは選ばれ、分離され、神のために聖別されたのです。

神がイスラエルにおいて予表されたことは、キリストと教会において、より大きな成就を見出したのです!イエス・キリストの死と埋葬、そして復活によって、あなたは神と切り離すことのできない結びつきの中に導かれました。あなたは神から切り離されて、神の御前にたどり着こうと苦労することではありません。あなたは主と結び合わされ、主と一つの霊とされたのです。「しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。」(1コリント6:17)

使徒ペテロは、「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民である」(1ペテロ2:9)と宣言しながら、神がモーセに語られたのと同じ言葉を繰り返しています。イスラエルにとっては、それは律法への従順を前提としたものでしたが、私たちにとっては、すでに成就された約束であり、キリストにおいて私たちの相続財産なのです。

私たちは神の特別な宝であり、神と切り離すことのできない一つとなっています。あなたは、一人で人生に苦闘している平凡な人ではありません。あなたは神の内にあり、神はあなたの内におられています。神はあなたを暗闇から、神の驚くべき光の中へ、栄光と卓越、そして神聖な目的のある人生へと導き出してくださいました。あなたは神の力に支えられ、神の知恵に導かれ、神の祝福の中に確立されています。王であるキリストに属し、神の栄光のために聖別された者として、確信と尊厳、そして目的を持って歩んでください。ハレルヤ!

祈り

愛する父よ、私をあなたと切り離すことのできない結びつきへと導いてくださり、ありがとうございます。私は主の特別な宝であり、聖く、聖別されているという事実を、心から喜びます。私は主との一体を意識して歩み、大胆さと喜びをもって、私の人生に対する主の御心を全うします。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書

(出エジプト19:4-6)あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。5 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。6 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」

(1ペテロ2:9-10)しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

(1コリント6:17)しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。


2026年10月1日(木)

あなたは憐れみを受けた

You’ve Obtained Mercy

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)

キリスト教では、神が私たちに憐れみを授けてくださるよう説得しようとはしません。また、神が私たちの祈りを聞いて応えてくださることを期待して、憐れみを求めて叫ぶこともありません。 私たちは、キリスト・イエスにおいてすでに憐れみを受けているのです。1ペテロ 2章10節には、次のように明確に記されています。「あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」

この言葉にご注目してください。あなたが憐れみを求めている、あるいは憐れみを待っているとは言わず、あなたはすでに憐れみを受けている、と記されています。あなたが憐れみを求めるほど十分に理解する前から、神はイエス・キリストを通して、惜しみなくあなたに憐れみを注いでくださったのです。この理解は、あなたが神と関わる在り方を変えるはずです。あなたは、旧約聖書の時代の人々とは異なります。 

盲人のバルテマイは、「…ダビデの子のイエスさま、私をあわれんでください。」(マルコ10:47)と叫びました。しかし、キリストの死と埋葬、そして復活によって、あなたは神の豊かな憐れみの恵みを受け、その恵みにあずかる者となったのです。だからこそ、ヘブル4章16節では、大胆に恵みの御座に近づくよう教えています。「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

そこには、物乞いをするように、あるいは神があなたに対してどのような思いを寄せておられるのか分からず、恐れおののきながら近づくようには書かれていません。むしろ、大胆に近づき、すでに備えられているものをしっかりと受け取り、神の恵みによってすでに与えられているすべてのものを受け取り、それを享受しなさい、と書かれているのです。

自分に「ふさわしくない」という気持ちや不安を抱いて神のもとへ近づくことを拒んでください。神はすでに、キリストにおいて、あなたが天のあらゆる祝福の相続分を受けるにふさわしい者とされておられます。「また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。」(コロサイ1:12)

神はあなたに愛と恵みを惜しみなく注いでくださっただけでなく(1ヨハネ3:1、ローマ5:17)、あなたに憐れみを示してくださり、その憐れみは永遠に続きます。ですから、頭を上げて、胸を張り、肩をまっすぐに整えて、堂々と歩みましょう!あなたが父なる神に愛された子であり、神の喜びであることを心に留め、あらゆる状況を打ち勝ちましょう。神に栄光をささげます!

祈り

愛する父よ、キリスト・イエスにおいて私に惜しみなく注がれた豊かな憐れみに感謝いたします。私は、主の愛と恵み、そして臨在を深く自覚して生きています。主の恵みが、私の中で、そして私を通して絶えず働いていることを知っています。今日、私はこの勝利と確信、そして安心感を持って歩みます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書

(1ペテロ 2:9-10)しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

(へブル 4:14-16)さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

(エペソ 2:4-5)しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――


2026年9月30日(水)

信仰により義と認められる

Justification By Faith

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

新約聖書の大きな恵みのひとつは、信仰による義認です。旧約聖書の時代、人々は律法を通して義認を求めましたが、それを得ることはできませんでした。律法は罪を明らかにすることはできましたが、人を義とすることはできなかったのです。しかし、新約聖書において、私たちはイエス・キリストの信仰によって義と認められています。義と認められるとは、どういうことでしょうか。

それは、無罪判決、すなわち「罪がない」と宣言されることを意味します。キリスト・イエスにおいて、神はあなたを「無罪」と宣言してくださいます。「では、私が犯した罪や過ちはどうなったのでしょうか?」と疑問に思うかもしれません。その答えは聖書にあります。ローマ4章24節から25節には、主イエスが私たちの罪のために引き渡され、私たちの義認のために復活されたと記されています。罪を知らない方が、私たちのために罪とされました。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)

イエスは私たちの身代わりとなられました。イエスは、私たちに向けられていた裁きを負われました。人類に対して立てられていたすべての告発が、イエスに負わされたのです。しかし、神に感謝すべきことに、話はそこで終わりではありませんでした。聖書は、主が私たちの義認のために復活されたと述べています。イエスの復活は、義の要求が完全に満たされたという宣言でした。

代価が全額支払われたため、神は主を死からよみがえらせられました。私たちの義認は確かなものとなりました。これこそが、クリスチャンが個人的な努力や律法の行いを通して義を得ようと苦闘する必要がない理由です。義はキリスト・イエスにあって、すでに私たちに与えられているのです。今、私たちは神との平和を持っています。私たちは神と一つとなっています。

聖書が「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)と語っているのも、当然のことです。もはや隔たりもなく、罪の定めもなく、御父の御前であなたの立場について不安を抱くこともありません。あなたはキリストにおいて受け入れられています。これこそが、福音がもたらす安らぎと確信に満ちた人生です。あなたは神ご自身によって無罪と宣言されたのです。神の目から見て、あなたは一度も罪を犯したことがないのです。

ローマ人への手紙3章21~26節には、「…神の義が明らかにされた…すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、…すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、…それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」と記されています。この実在の大胆さ、自由、そして喜びのうちに歩んでください。罪悪感や非難、あるいは自分には価値がないという感覚の下で生きることを拒んでください。主イエスは、あなたの罪のために引き渡され、あなたの義とされるために復活されました。主の御名に永遠の栄光をささげます!

祈り

愛する父よ、キリストへの信仰による私が義とされたという輝かしい現実を、ありがとうございます。私は、キリスト・イエスにおいて義と宣言され、受け入れられたという実在の大胆さ、自由、そして喜びのうちに歩んでいきます。私の義とされたことと、主との正しい関係による祝福を、ありがとうございます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書

(ローマ 4:24-25)また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

(ガラテヤ 2:16)しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

(ローマ 8:1)こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。