2026年7月13日(月)
教会は建物以上のものである
The Church Is More Than A Building
「 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。またその家の教会によろしく伝えてください。」(ローマ16:3-5)
ローマ人への手紙、特に16章を注意深く読み解くと、初期の教会について驚くべき事実に気づくことでしょう。初期の教会は、一つの中心的な会衆があったわけではなく、いくつかの交わりの集まり、つまり神の民である様々なグループがそれぞれの場所で集まっていたにもかかわらず、それらがすべて同じ教会の一部であったということです。
このことは、ローマ人への手紙の冒頭を読むと、さらに明らかになります。「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。…」(ローマ 1:7)
教会は多くの場所に広がっており、家庭集会や、さまざまな家々で集まるクリスチャンのグループがありました。だからこそ、ローマ16章3節から5節で、パウロはプリスカとアクラ、そして彼らの家にある教会に挨拶を送るよう述べています。
また、10節では、「…… アリストブロの家の人たちによろしく。」と記し、11節ではさらに、「…ナルキソの家の主にある人たちによろしく。」と続けています。これらは単なる家族ではなく、教会であり、パウロの奉仕の生き生きとした現れであり、その延長線上にあったのです。ここには深い真理が示されています。教会とは建物ではなく、神の民そのものなのです。
初期の教会は、多くの教会として組織されながらも、一つの体として結ばれていました。いくつかの集まりがあったかもしれませんが、それぞれが生き生きと活動し、互いに繋がっていました。聖書にはこう記されています。「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、……」(使徒2:46)大きな集まりがあった一方で、御言葉を分かち合い、共に祈り、共に成長する小さな交わりの場もあったのです。
このような構造こそが、教会を強く、破壊不可能なものにしました。迫害の時代でさえ、教会は繁栄し続けました。建物を破壊することはできても、教会を破壊することはできません。人々がそこにいる限り、教会はそこにあります。だからこそ、交わりはこれほど重要なのです。
クリスチャンが主の御名によって集まる場所ならどこでも、主はそこに臨在しておられ、そこが教会なのです。主イエスは、最も小さな集まりの力を次のように強調されました。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)
ですから、教会を単なる場所や建物に過小評価してはいけません。教会の真の本質を理解してください。教会とは、キリストの生ける体であり、神の民を通して、交わりと一致と目的をもって現されるものなのです。その現れの一部となりましょう。教会を強め、教会を築き上げましょう。そうしてこそ教会は成長し、王国は栄光から栄光へと前進するのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、私を、キリストの生ける体である教会の一部としてくださったことを感謝いたします。私は交わりの中で積極的に働き、他の人々の成長と強めのために貢献します。私を通して、神の命が表され、今日、神の王国が前進します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(使徒2:46(NIV)彼らは毎日、神殿の境内にて集まり続けた。そして、それぞれの家でパンを裂き、喜びと誠実な心をもって共に食事をした。
(1コリント16:19) アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。
(マタイ16:18) ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。