2026年7月7日(火)
祈りで神に乞い願うな
Don’t Beg God In Prayer
「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」(ローマ8:15)
神に対するあなたの理解や考え、そして神との関係は、間違いなくあなたの祈りの在り方を決定づけるものです。理解が正しいとき、あなたの祈りの生活は確信と大胆さ、そして保証に満ちたものとなるでしょう。しかし、あなたの理解が歪んでいると、あなたの祈りは、苦闘となり、不確実さや懇願、そして欠乏感に満ちたもがきとなってしまうかもしれません。
まるで神の注意を引こうとする見知らぬ人のように、神に近づいてはいけません。神はあなたの父なのです。父はどのような子供を喜ばれるでしょうか。まるで家に自分の居場所がないかのように、何でもかんでも泣きながら懇願してくる子供を、父は喜ばれません。神を、あなたが想像したり望んだりする以上に、あなたの最善を願ってくださる、恵み深く、愛に満ち、思いやりのある天の父として接してください。
それが真実です。神は、あなたが自分自身を愛する以上に、あなたを愛しておられます。ですから、神の中での、そして神と共にいるあなたの立場を理解してください。ヘブル4章16節で、主はこう言われました。「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」なんと素晴らしい招きでしょう!主は、あなたが、主があなたを喜ばれていることを知って、常に確信を持って主のもとへ近づくことを望んでおられます。
聖書は、主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられると述べています。(詩篇34:15)主は、あなたに善を行うために、あなたを喜ばれています。主は日々、私たちのために、重荷を担われるのです。(詩篇68:19)ハレルヤ!キリスト・イエスにおいて、あなたは父なる神に直接近づくことができます。あなたには、何ものにも妨げられることのない、限りない神に近づく権利があります。それを用いてください。「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。」(エペソ3:12)
冒頭の聖句をもう一度お読みください。奴隷のような心構えは取り除かれました。その代わりに、あなたは神の子としての立場に導かれたのです。あなたが乞い願うとき、それは謙遜さを表しているのではなく、あなたが誰であるかを理解していないことを示しているのです。神はそのような心構えには応えてくださりません。神が認めてくださるのは、神の子としての自覚、すなわち神を父として知り、その視点から行動することから生まれる確信なのです。神を賛美しましょう。
祈り
愛する父よ、私の中に宿る「子としてくださる御霊」に感謝いたします。その御霊によって、私は主を父として接することができます。私は、自分が主に属しており、キリストにあるすべてのものが私のものだと知って、大胆さと確信を持って生きています。私は、主との一体と、キリストにある私の相続財産の豊かさを自覚して歩みます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ガラテヤ4:6-7) そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。
(ヘブル4:16(AMPC)ですから、私たちは[自分たちの失敗に対する]、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座〈受ける資格がないのに[罪びとに与えられる]神の愛顧のみ座〉に近づこうではありませんか。
(マタイ6:6-8) あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。