2026年4月4日(土)
まことの神と永遠の命
The True God And Eternal Life
「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」(1ヨハネ5:20)
多くの人は、もし主イエスを直接目にしたら、すぐに神の子だと悟り、すぐに愛するだろうと想像します。しかしそれは、聖霊による新生を通して神の愛がすでに満ち溢れている私たちに限られるものです。聖書を学べば、この世に歩まれた主を物理的に見た人々の多くが、主を信じなかったことに気づくことでしょう。
ヨハネ1章11節にはこう記されています。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」奇跡や教えをもってしても、当時の宗教指導者たちから拒絶されたのです。イザヤは主について預言し、「…彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」(イザヤ53:2)と述べています。
イエスはオーラや肉体的な輝きを帯びて歩んだわけではなく、他の人々と変わりありませんでした。それでも、イエスは百パーセント神でした。イエスが捕らえられた時、ユダは弟子たちの中からイエスを口づけで指し示さねばなりませんでした。彼らは外見ではイエスを見分けることができなかったのです。
だからこそ、イエスがご自身を神の子であると宣言されたとき、パリサイ派や律法学者たちはイエスと論争したのです。彼らはイエスの出自(しゅつじ)を問い詰め、「どこから来たのか分からない」と主張しました。そして彼らはイエスを罪人と呼び、神の子としての神聖を認めようとしなかったのです。生まれつき目の見えない人がイエスによって癒されたと証言したときさえ、その人はイエスを信じたために侮辱され、嘲笑されたのです。(ヨハネ9:24-28)
さらに驚くべきことに、イエスの兄弟姉妹さえも(ヨハネ7:5)、イエスが天に昇られるまでは主を信じなかったのです。彼らは共に育った者の中に栄光を認めようとしなかったのです。十字架刑の際、母は立ち会っていましたが、兄弟姉妹の姿はどこにもいませんでした。彼らはイエスの傍らに立たず、守ろうともしなかったのです。それでも主イエスは、自ら宣言された通りの存在でした。主は人間の姿をとった永遠の命であり、肉となった神の愛、父なる神の現れそのものだったのです。
彼らの不信仰は、主の本質を変えることはありませんでした。そして今日、世の意見が主を定義することもありません。主は栄光に満ちた偉大な神、キリスト、全能の主なる神、天と地の神なのです。イエスこそ真の神であり、永遠の命です。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)
祈り
愛する父よ、主イエスの御姿を私の心に明らかにしてくださり感謝します。主は偉大な神であり、永遠の命です。私は御言葉と御霊によって主を見つめ、主の主権、神性、愛を認識します。主の命と性質は私の中にあります。私は大胆にこの世に主を宣言し、多くの者が私の証しを通して信じますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ1:10-12) この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
(1テモテ 3:16) 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」
(テトス 2:13-14) 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。