2025年10月20日(月)
永遠の罪の赦免
Eternal Remission
「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1:7)
聖書は実は、神に赦しを請うよう教えていないことをご存知でしょうか?さらに言えば、神は多くの人が考えるような形で、あなたの赦しを用意したわけでもありません。むしろ、はるかに偉大な御業をなさったのです。神は私たちに「赦免」を与えてくださったのです。
赦しとは恩赦(おんしゃ)を意味します。つまり、加害者が犯した過ちや罪は記録に残るものの、もはやそれに対する責任を問われたり罰せられたりすることはありません。これが人間の赦し方です。しかし、神がキリスト・イエスにおいて行われたのはそれではありません。新約聖書は、より偉大な実際である「赦免」を私たちに示しています。
1ヨハネ1:9はこう言います。「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、」しかし、ここで「赦す」と訳されているギリシャ語は、実は「アフィエミ(aphiēmi)」であり、「アフェシス(aphesis)」に由来します。この言葉は主に「許す」という意味ではなく、「送り出す」、「完全に取り除く」、または「~から分離する」という意味です。これが赦免であり、赦しではありません。神はあなたの罪を記録に残したまま赦したのではありません。決してそうではありません!神はそれらを完全に除去されたのです。罪は取り除かれ、消し去られたのです。
だからこそ、私たちは神に繰り返し赦しを請う必要はないのです。キリストにおいて、私たちの罪は赦免されました。覆い隠されたのではなく、洗い流されたのです。イエスの死と埋葬、そして復活が罪の完全な代価を支払い、あなたの完全な義認をもたらしたのです。
マタイ、マルコ、ルカの福音書から節を引用し、赦しに基づく考え方を正当化する者もいます。しかし、それらの福音書におけるイエスの教えは、その死と復活以前の旧約の契約下にある人々に向けたものでした。今や私たちはキリストにある新しい被造であり、神はあなたの罪の記録を持っていません。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17) あなたは清められ、義とされ、聖別されたのです。神に栄光がありますように!
祈り
愛する父よ、キリスト・イエスにある私が受け取った永遠の赦免に感謝します。私は義の光の中を歩み、罪とその伴う影響が私を支配しないことを知っています。私は大胆に、確信を持って生き、妨げられることのない交わりを主と楽しみます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヘブル 10:16-17) 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」
(コロサイ1:12-14) また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。 (使徒 13:38-39) ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。