2026年8月18日(火)クリス牧師
信仰による神の義
The Righteousness Of God By Faith
「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」(ローマ10:4)
義について理解しておくべき重要な真理があります。それは、義は行いによるのではなく、信仰によるものであるということです。聖書はローマ9章30節から32節で、この対比を明確に示しています。異邦人は信仰によって義を受け入れたため、義を得ました。しかし、律法によって義を追い求めたイスラエルは、行いによってそれを求めようとしたため、義を得ることはできませんでした。
聖書は、律法の行いによって義と認められる者は一人もいないことを明確に述べています。「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。……なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」(ガラテヤ2:16)また、ローマ3章21節から22節には、次のように記されています。「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」
それは、行いや人間の努力によって獲得したり達成したりしようとするものではなく、信仰によって受け取るものです。しかし、イスラエルは律法によって自分たちの義を確立しようとしましたが、それは失敗に終わりました。ローマ10章3節には、「というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」とあります。
聖書は、彼らが神に対する熱意を持っていたが、それは知識に基づいたものではなかったと述べています。それは今日でも変わりません。多くの人々が、義を追求する上で熱心で、情熱的で、誠実です。彼らは、すでに無償で与えられているものを、自ら努力して得ようとしているのです。しかし、重要なのは、イエス・キリストへの信仰による神の義に身を委ね、それを受け入れることです。
神の義は、あなたが努力して得るものではなく、受け取る賜物です。「…恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。」(ローマ5:17)2コリント5章21節には、「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」とあります。
行いによって自分の義を確立しようとしないでください。神がキリストにおいて与えてくださったものを受け入れてください。ピリピ3章9節で、パウロは御霊によって次のような驚くべき言葉を語っています。「キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」 ハレルヤ!
告白
私は、キリスト・イエスにある神の義であり、神との正しい関係にあるという自覚を持って歩みます。大胆に、確信を持って勝利者として歩みます。私はイエス・キリストを通して自分の人生を支配し、神の知恵と栄光、そして真理を現します。アーメン。
参照聖書
(ガラテヤ2:16(NIV) 人は律法の行いによって義と認められるのではなく、イエス・キリストへの信仰によって義と認められることを知っています。ですから、私たちもまた、キリスト・イエスを信じるようになりました。それは、律法の行いによってではなく、キリストへの信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、だれ一人いないからです。
(エペソ2:8-9) あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
(ローマ3:20-22) なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。