2026年4月19日(日)
それは信仰によるものになる
It’s Going To Be By Faith
「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。」(1コリント15:51)
宗教的な仮定とは異なり、聖書は「誰もが死ぬ」とは述べていません。冒頭の聖句を改めて考えてみてください。御霊は使徒パウロを通して、ある奥義を明らかにしています。「私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。」
つまり、死を経験することなく携挙を目撃する教会の世代が存在するのです。そして、それが私たちの世代なのです。なぜなら、私たちはこの啓示を信じ、その道を進んでいるからです。私たちの信仰は揺るぎないものです。「教会の携挙」と呼ばれる私たちが経験することになる、その変貌は、私たちの信仰の現れとなるでしょう。携挙は不信仰の中では起こり得ないのです。
神は旧約聖書の中で、エノクをその模範として私たちに示されました。聖書はこう言っています。「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。」(ヘブル11:5)エノクは信仰によって携挙されたのです。しかし、彼が天に移される前に、彼は神に喜ばれるという証しを持っていました。そして聖書は、信仰がなくては、神に喜ばれることはできないと書いています。(ヘブル11:6)
エノクは信仰によって神と共に歩み、ある日、神が彼を取られたので、彼はいなくなったのです。(創世記5:24)同じように、教会も間もなく信仰によってこの地から天に上げられるでしょう。主は、信仰の中にあり、備えを整え、期待に満ち、主のまもなくの再臨を意識して生きている人々のために来られます。
期待とは、現れとしての信仰です。「美しの門」の所に男が、ペテロとヨハネを見て何かを受け取ることを期待したように、私たちの視線は主に向けられ、主の現れを期待しています。御言葉がこう言われていることを思い出してください。「…罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」(ヘブル9:28)
ですから、もし誰かがあなたの力強い信仰のメッセージを批判するなら、エノクを思い出させてください。エノクは、死を経験することなくこの世を去ったほどの信仰を持った人でした。あなたも同じ信仰の系譜(けいふ)に属しています。あなたはその栄光に満ちた瞬間のために、御言葉によって築き上げられているのです。
ですから、心を主に向け続けてください。あなたは、福音のメッセージを完全に成し遂げ、教会の携挙を待ち望み、体験する特権を与えられた世代の一員であるという自覚を持って、毎日を生きましょう。神に栄光をささげます!
告白
私は主の来臨を喜びに満ちて待ち望み、信仰をもって歩み、すべての事において主に喜ばれる者です。私の人生は神の御言葉によって整えられています。私は揺るぎなく、堅固であり、常に神の御業に励んでいます。私は義と神の御言葉の光の中を歩み、主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。アーメン。
参照聖書
(ヘブル11:5-6) 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
(1テサロニケ 4:16-17) 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
(ピリピ 3:20-21) 20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。