2026年9月26日(土)
あなたの義に対する意識
The Consciousness Of Your Righteousness
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)
ローマ5章1節には、今回の冒頭聖句の内容と通じる、実に深遠な言葉が記されています。そこには、「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」とあります。信仰によって義と認められるとは、私たちが信仰によって義と宣言されたことを意味します。ですから、あなたはその義を確信し、その意識を持って生きなければなりません。
時折、「主イエス・キリストの御名によって、私はキリストの義によって義とされている」と宣言してください。そうしなければ、神がすでに賜物として与えてくださったものを、行いによって得ようと、果てしなく苦闘することになるかもしれません。多くの人は、それに気づかずにこのように生きています。自分が行いをよくした、あるいは何も悪いことをしなかったと思う日には、神が自分の祈りを聞いてくださるという確信を強く抱きます。
しかし、それは危険な考え方です。なぜなら、それは、神に対するあなたの確信や神からの承認を、キリストの成し遂げられた贖いの御業ではなく、個人的な行いに基づかせていることを意味するからです。神は、あなたにあなた自身の義を確立することを決して求めてはいません。 聖書は、イエスが私たちのために罪となされたのは、私たちがキリストにあって神の義とされるためだと述べています。
中には、謙遜とは神の前で絶えず自分自身を非難することだと考え、「主よ、私は無に等しい者です。私たちはみな、御前においてあまりにも不適格で不義な者です」という言葉を口にする人がいます。しかし、それは神が望んでおられることではありません。神は、あなたの自己否定や自己非難、あるいは自己責めを喜ばれることはありません。すでに一人の方が、あなたのために裁かれ、十字架につけられました。その御名はイエスです。その方があなたの身代わりとなられたのです。
使徒の働き13章38節から39節には、次のように記されています。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」 神が望んでおられるのは、あなたが、キリストがあなたのために成し遂げられたことを信じ、それに従って生きることです。使徒パウロはこう言っています。「…ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」 (2コリント5:14)。主は、あなたが生きるために死なれたのです。
今、あなたは主のために、栄光と義のうちに生き、何の苦労もなく主を喜ばせています。これこそがクリスチャンの生き方です。それは、人間の努力によって神に認められようと苦闘することではなく、御言葉に従って歩むことによって、神の愛に応えることです。キリストにある自分が誰であるのかを確信すればするほど、その実在があなたの人生を支配するようになります。ですから、義について考え、義について語ってください。あなたが義と認められ、神との間に正しい関係にあるという自覚を持って生きてください。
祈り
愛する父よ、キリスト・イエスにおいて、私を神の義とされたことを感謝します。私は、主との間に正しい関係にあるという自覚を持って、今日、あなたの御言葉の光の中を歩んでいきます。私の人生は、主の恵み、愛、そして義の現れとなります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ローマ 5:17)もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
(ピリピ 3:7-9)しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
(ローマ 3:21-22)しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
(ローマ 10:1-4)兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。