霊的に見てください
See Spiritually
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」(ローマ8:5-6)
主イエスは、すべてのこと、つまり主の見解、言葉、行動、希望、信仰、愛について霊性を現わされました。使徒たちも同じでした。彼らは霊的な心を持っていました。彼らは霊的な観点から世界を見て、御言葉を基づいて状況や環境に対応しました。
イエスがある状況についてどのように対処されたかを考えてみましょう!イエスが来られるまでは、人々に置かれている状況の原因が悪霊であることを誰も知りませんでした。また、知っていても誰もその状況を変えることはできませんでした。しかし、イエスはご自身の言葉で悪霊を追い出されました。「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。」(マタイ8:16)
マルコ9章25節には「イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。『おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない』」とあります。
マルコの1章23―26節 には「すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて…イエスは彼をしかって、『黙れ。この人から出て行け』と言われた。すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った」とあります。鎖や足かせで縛られていた悪霊につかれたゲサラでの人はどうでしたでしょうか。彼はその鎖を引きちぎり、石で自分の体を傷つけました。イエスがその道を通るまで、彼はその悲惨な状態で苦しんでいました。しかし、主が悪霊にその人の体から出ていくように命じて、その人は回復しました。(マルコ5:1―13を読んでください)。
イエスは言葉を大切にされました。イエスは生まれつき麻痺があった人に「立ち上がりなさい!床を取り上げて歩きなさい!」と言葉を話し、彼は癒されたのです。ベテスダと呼ばれる池のほとりで、38年間も病気で患っていた人の話を読んでみてください。イエスは彼に「…起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われました(ヨハネ5:8)。言葉は霊であると教えられたのです。(ヨハネ6:63)
イエスは、霊の領域から命を見ておられました。イエスに関する限り、すべてのことは霊的な領域で治められています。そして、神の子としてあなたも霊的の領域から見て生きることが期待されているのです。霊の領域から人生を解釈すれば、あなたは常に勝利することができるでしょう。
参照聖書
(マルコ9:25)イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」
(マルコ1:22-26) 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
告白
私はこの世で、王国の原則に基づいて歩んでいます。私は御言葉によって世界を見ています。私は霊的に見て、この物理的な世界での要素、失敗、挫折、暗闇、腐敗を超えて生きています。私は常に勝利と統治の中を歩きます。アーメン。
参照聖書
(マルコ9:25)イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」
(マルコ1:22-26) 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。