2024年8月28日(水)
霊的な監督と管理者
Spiritual Oversight And Stewardship

「そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石も他の石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(ルカ19:44)

今回の冒頭聖句にある「訪れ」という言葉をよく観察してほしいと思います。イエスは単なる「訪問」のことを言っているのだと考える人もいますが、そうではありません。この言葉はギリシャ語の「エピスコぺ(Episkopē)」から翻訳されたもので、「監督」、あるいは監督の職を意味します。監督には、見守り、管理する働きをするのです。

このことが、先の主の御言葉の理解を深めてくれます。彼らは注意していなかったので、神の訪れの時を逃しました。また、神がアダムとエバにエデンの園を「耕し、守りなさい」(創世記2:15)と命じたことも思い出させます。これは園を守り、管理することが彼らの責任であったことを意味します。

同様に、主イエスは弟子たちに「目をさまして、祈りなさい」(マタイ26:41、マルコ13:33)と促しました。イエス・キリストの教会として、私たちは霊的責任に対して警戒を怠らず、注意を払わなければなりません。もし私たちが、彼らのために執り成し、彼らの霊的な状態を見守る責任を怠れば、今日の人々や国家は悲惨な結末に直面するかもしれないのです。

マタイ26章41節 AMPCは、「誘惑に陥らないように、あなたたちは皆いつも目を覚ましていて[厳しく注意をして、用心して、見張りをしていて]祈りを続けなさい。」と言っています。1テモテ2章1節から3節には次のようにあります。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」主からのこの教えを実行しないということは、あなたの国と国民を見守る「監督の役目」の責任を果たしていないことです。

私たちは神の言葉を理解し、時のしるしを見分けることができるのです!エゼキエル書3章17節を思い出してください。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」

私たちは見張り人です。そして、神の創造物を見守り、管理する方法のひとつが祈りです。使徒パウロは、1テサロニケの5章17節で「絶え間なく祈りなさい」と言っています。また、コロサイ4章2節では、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」と戒めています。

祈りと霊的な識別力によって、私たちは暗闇の計画を阻止し、混乱があったところに神の平和をもたらします。この終わりの日々において、霊的な監督と見張りの役の重要性を決して過小評価してはならないのです!

祈り
愛する父よ、私は監督者として自分の役割の重要性を認識し、悪魔とその群れを阻止するために、主が私に与えてくださった権威を感謝します。私は、私の環境における彼らの邪悪で悪意に満ちた活動を終結させ、主の平和と繁栄だけが私の中と周囲にあることを宣言します。私は、主の真理の監督者、管理人として私の責任を忠実に果たし、神聖の知恵と識別力をもって歩んでいきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(1テモテ2:1-4)そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

(使徒20:28)あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

(エゼキエル3:17)「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。